メニコンの森山久営業本部長が、夏の時候の挨拶に来られました。神戸さえきで食事をしながら歓談しました。外資系の取引先であるジョンソン・エンド・ジョンソンや、ボシュロム、アルコンには、このような、上席の方が時候の挨拶だけにこられることはありません。

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森山久さんとは、阪神淡路大震災の復興の頃から、店舗経営のお手伝いをしてもらっています。

毎年お盆の頃と、年末の頃には、メニコンから時候の挨拶に重役が来られます。

時候の挨拶が中心で、日本的風習です。

外資系の取引先であるジョンソン・エンド・ジョンソンや、ボシュロム、アルコンには、このような、上席の方が時候の挨拶だけに来られる風習はありません。

メニコンと並んで、日本企業には、シードがあります。

シードの創設時の名前は、東京コンタクトレンズです。

メニコンの創設時の名前は、東洋コンタクトレンズです。

倒産したニチコンの創設時の名前は、日本コンタクトレンズです。

このように、国内企業3社は、東京・日本・東洋と、地域の名前を社名にしていました。

2018年の重役挨拶は、馴染みの深い森山久取締役です。

森山久さんとは、神戸営業所があった時代からのお付き合いで、1995年の阪神淡路大震災の復興の時にはひとかたならぬお世話になりました。

奧さんは自宅で作ったパッションフルーツゼリーを森山久さんと安部優さんの為に持って来ています。

メニコンの営業本部長は、激務の仕事です。

何しろ、全国のメニコン取引先を訪問するので、出張やホテル泊まりが多いそうです。

ホテルで泊まれば、当然外食になるので、食べ物に気を付けておかないと、太りすぎや塩分・糖分のとりすぎになります。

これまで営業本部長を務めた人は、任期中はとても激務だったと言われています。

森山久さんは、我が社が震災復興期の頃、会社再建の為にあれやこれや、一つの会社を作るほどの大変な時代を知っているので、その頃の話をすると話が弾みます。

例えば、求職の為の会社説明会に参加したときは、森山久さんにも付いていってもらい、面接を一緒にしたことがあります。

森山久さんと一緒に面接をして、お互いに今の方は採用するか、見送るか、サインを決めて、その場で即決して話を進めた想い出があります。

不思議と、森山久さんが指で○を作った方と、私の採用レベルと、思った方が一致していました。

今日の食事のお店は、三宮の東急ハンズの近くのさえきでした。

さえきは、以前にも利用した事があります。

2012年5月に、私の誕生日祝に家族で一緒にお祝いの食事会をした想い出があります。

今日のお料理に、あのときと同じ料理がいくつか出ていました。

トウモロコシコーンを使ったお豆腐も、同じ料理です。

外は30度を超える炎天下です。

さんプラザから生田神社の近くまで、歩くだけでも汗が出てきました。

お座敷で座ると、とりあえずは冷たいビールですが、仕事中なので、ノンアルコールビールです。

森山久さんは、全国を回っているので、いろいろな業界情報をご存知です。

最近の話題は、外資系2社の値上げの問題です。

特にシェアの大きい会社の値上げは、ユーザーに与える影響が大きく、この機会に安いレンズに乗り換えようとするユーザーが増えているようです。

懐石料理は一品ずつゆっくりと運ばれていきます。

少量多品種で、少量だと思って食べているうちに、段々とお腹が膨らんでいきます。

驚く話や知らなかった話、もっともっと知りたい話が出てきましたが、詳しい事は書けません。

メニコンの古くから付き合いのある大手取引先は、大体の経営者と私も会っています。

顔を合わせて一緒に話をしたり、食事をすると、段々と情が移ってきます。

各地で激安店と戦っているメニコンのメルスプランの加盟店は、応援したくなります。

加盟店の相互訪問もかなり進んで、一軒一軒の市場環境も話をすれば浮かんできます。

外資系企業が販売している使い捨てレンズを中心にビジネスを進めている販売店とは、ほとんど交流する機会がありません。

これは、メーカーもこのような機会を作る事をしていません。

ゆっくりとしたビジネスランチを頂いて、最後はお抹茶を頂きました。

森山久さんからは、メニコンの社員の方々の消息も聞く事も出来ました。

48年もメニコンと取引関係が続いているので、入社した人が、定年退職で会社を去っていった方も居られます。

メニコンの田中英成社長と、田中恭一会長は、他の会社のように交替する事がないので、長い関係が今後も続きます。