花見は世相を反映しています。乱世がおさまると、豊臣秀吉は醍醐の花見を開催しました。

花見は心のゆとりを反映します。安寧な世の中になると、夜桜で、今宵会うひとの美しさを、与謝野晶子さんは詠いました。 丹波篠山お花見(2)

篠山といえば、篠山城です。篠山城と言えば、書院と桜です。今日は、神戸に比べて、やや遅咲きの桜を見に、篠山にお花見に来ています。

お花見が出来るのは、気持ちにゆとりがある時です。何かに追われていると、お花見どころではありません。

家族が揃って、お花見出来るのは、家族の仲が良いからです。

家族が喧嘩していたり、まとまりがなければ、とても家族でお花見どころではありません。

子供達がお花見についてくるのは、子供の時代だけです。成人すると、お父さん、お母さんのあとについて、お花見に来ている人は、なかなか見当たりません。

こうして考えると、お花見というのは、家族円満、夫婦円満、家内安全、心にゆとりのある、平穏無事な環境など、恵まれたことは、その基礎にあるようです。

桜の花と一緒になって、心がウキウキするお弁当を桜の花の下で食べるお花見は、平穏な安寧な人達だと思います。

そう思って、篠山城の大書院付近のお花見に来ている人達を見ていると、確かに心にゆとりがあるように見えてきます。

昔、太閤秀吉が醍醐の桜見をしたときのように、世の中が鎮まって、戦乱の世から、秩序のある世の中に移った時に、それを知らしめる為に、大規模なお花見を企画したことが頷けます。

世の中が鎮まって、夜でも、女性達で夜桜見物が出来るようになってくると、美的感覚も表れてきます。

与謝野晶子さんが詠ったように、『清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき』と、随分と桜に美男美女が似つかわしくなってきます。

そろそろメインの桜を探して、その桜を正面から見えるような場所を確保して、奥さんと一緒に桜の花を見ながら、お弁当を頂きます。

味土里館で買ってきたのは、鯖寿司とちらし寿司です。デザートにイチゴです。

ベンチに一人の女性が座っていたので、その横に相席をさせてもらいました。その方は、一人でお花見です。お花見弁当の代わりに、ポテトチップスを食べて、遠くの桜を見ています。

ポテトチップスの隣で、鯖寿司やちらし寿司を食べるのも、随分気が引けて、つい、「このお寿司を召し上がりませんか?」と、言いたくなったのですが、それは結果が良くなるのか、悪くなるのか、リスクが高いので思いとどまりました。

鯖寿司の酢飯の量が多くて、とても食べきれず、いいとこ取りで鯖の部分だけを食べて、半分以上酢飯が残ってしまいました。

これは家で水洗いして、御飯がばらばらになるようにして、小鳥たちが食べやすいように、蒔いてあげます。

2015年4月