日本航空御巣鷹山墜落事件 飛行機に乗り遅れて 一命をとりとめた元商社マンの談話

投稿No:8041

日本航空御巣鷹山墜落事件の飛行機に乗り遅れて難を逃れた実話は、鳥肌が立つような話でした。

日本航空御巣鷹山墜落事件 飛行機に乗り遅れて 一命をとりとめた談話

日本航空御巣鷹山墜落事件の飛行機に乗り遅れて

一命をとりとめた話をききました。

神戸のハーバーランドモザイクのニューミュンヘン大使館で、

これから、徳永弘美さん、宮崎さんと暑気払いのビールを頂きます。

先日、三宮のニューミュンヘン大使館で、コンタクトレンズメーカーの

担当者の皆さんと、親睦会をした、ニューミュンヘン大使館です。

ニューミュンヘン大使館は、大変な賑わいで、まだ明るい夕方から満席状態です。

御巣鷹山 墜落事件

今夜は、とても運が良い人と一緒にビールを頂きます。

それは1985年(昭和60年)8月12日(月)に、JALの羽田発大阪

伊丹行きの大型機が、群馬県多野郡上野村御巣鷹山に墜落した。

その日本航空123便に予約していて、急用が出来て、123便に乗れなくな

り、難を逃れた、実際にあった話です。

ミュンヘン大使館では、最初に黒ビールを大ジョッキで乾杯です。

かなり沢山ビールが入っています。

でも、よく見ると泡も沢山入っています。

しばらく時間をおけば、泡ははじけて、上の部分は空になってきます。

サービス係の男性が、注文を間違えて、生ビールの大ジョッキのところを、

中ジョッキを持って来ました。

取り替えて貰うまで、しばらく乾杯はお預けです。

料理は、一品ずつ注文するのではなくて、予めコースで予約をしているの

で、次は何を注文しようかと考える必要はありません。

日本航空123便墜落事件について、難を逃れたお話を、

明日は8月12日なので、聞かせてもらいました。

運命の日に起きたこと 

その日、1985年(昭和60年)8月12日、伊藤忠商事社員、徳永弘美さんは

東京から大阪へ飛ぶJAL123便の出発に合わせて、空港に向かおうとした時に、

ばったり取引先の方が会社へ訪ねてきたので、その方と一緒に部屋に戻ったそうです。

部屋に戻って商談を済ませると、もう日本航空123便には、間に合いません

でした。そこで123便の次の便に予約を変えたそうです。

伊丹空港は騒然

123便の後の便で、羽田空港から伊丹空港に戻ってみると、空港は騒然とし

た状態だったそうです。

それでもその時は何が起きたのかは分からなくて、そのままタクシーに乗

り、自宅に向かいました。

タクシーのラジオニュースで墜落事件を知って

タクシーのラジオニュースでは、日本航空123便墜落事件が報道されていま

したが、その時間には、墜落したとは分かっていなくて、123便が行方不明

と報道されていたそうです。

タクシーの運転手さんに、123便が行方不明ですと知らされ、徳永弘美さん

は、それは僕が乗る予定の飛行機だったと言った途端、自分自身の全身に鳥

肌が立ったそうです。

家族もびっくり

家に戻って家族と会ったときには、家族の皆さんは行方不明のJAL123便に

乗っていると信じていた徳永弘美さんが、突然、何事もなかったかのように

帰宅したことで、ビックリしたそうです。

なんと運の強いことか

この話を聞くと、徳永弘美さんはとても運が強い人だと思います。

もし取引先の方が、わざわざ夕方会社に訪ねて来ていなければ、徳永弘美さ

んは予定通り日本航空123便に乗っていたことでしょう。

しかし痛恨の極み

暗い話になりますが、徳永弘美さんがJAL123便をキャンセルしたことで、

キャンセル待ちをしていた人が123便に乗っています。

それが誰かは分かりませんが、胸の痛む話です。

長い間、徳永弘美君は、この事実を話していなかったそうです。

自分自身は命拾いをしたものの、誰かがキャンセルした席に座ったかと思うと

申し訳ない気持ちで痛恨の極みだったそうです。

話を聞いて考え込む

宮崎くんと一緒にこの話を聞いて、人の運のあり方について考えさせられました。

徳永弘美さんは、松葉博雄に対して、もし、もう一度人生をやり直すことが

出来るとすれば、今の人生と同じ事を望みますか?

それとも、別の人生を望みますか?という、設問をされました。

松葉博雄は、与えられた人生を、長期的に、どのように送るか考えて進んで

きたので、人生をもしやり直すとしても、たぶん大きな変更はないのではな

いかと考えました。

帰り道に、モザイクのお店で見たのは、トルコアイスです。

これは、売る人のパフォーマンスにお客さんが引きつけられ集まっています。

アイスクリームをすくう長いスティックで、お客さんのコーンに、アイスク

リームを乗せてあげるまで、出したり引っ込めたり、お客さんを驚かすよう

なパフォーマンスが受けています。

今夜は、人の運命について、考えさせられました。

予期せぬ事があったのは、阪神淡路大震災の時です。

あの阪神淡路大震災にも、ちょっとした選択で、生と死に分かれています。

やはり、生きている人は、何かによって生かされているのではないかと思います。

日本航空123便墜落事故 概要

 
日本航空123便墜落事故の位置(日本内)

 
伊丹空港伊丹空港 羽田空港羽田空港 日本航空123便墜落事故123便墜落地点 Red X.svg 墜落地点
 

123便は東京国際空港(羽田空港)発大阪国際空港(伊丹空港)行きの定期

旅客便で、相模湾上空を飛行中に機体後部の圧力隔壁が破損、垂直尾翼

助動力装置が脱落し、油圧操縦システムを全喪失、操縦不能に陥り迷走飛行

の末、午後6時56分30秒群馬県多野郡上野村高天原山の尾根(標高1,565

メートル、通称御巣鷹の尾根)に墜落した[報告書 1]

乗客乗員524人のうち死亡者数は520人、生存者は4人であった。

単独機の航空事故の死亡者数として2020年令和2年)4月時点で世界最多

である[1][注釈 2]

夕方のラッシュ時お盆帰省ラッシュが重なったことなどにより、

著名人を含む多くの犠牲者を出し、社会全体に大きな衝撃を与えた。

特にこの事故を指して『日航機墜落事故[2]』『日航ジャンボ機墜落事故

[3]』と呼ばれることもある。

1987年(昭和62年)6月19日運輸省航空事故調査委員会(以下、事故

調)は事故調査報告書を公表した。

1978年(昭和53年)6月2日に伊丹空港で起こした「しりもち事故」後の、

ボーイングによる圧力隔壁の不適切修理による破損が事故原因と推定されて

いる。

事故原因を巡っては様々な疑問点や異説が提起されていたため、運輸安全委

員会は報告書公表から24年後の2011年平成23年)7月29日、事故調査報

告書の解説書を公表した[4]

出典 ウィキペディア(Wikipedia)

2014年8月11日(月)