追悼 メニコン創業者 田中恭一名誉会長 お別れ会 心より追悼の意を表します
投稿No:9951
追悼 メニコン創業者 田中恭一名誉会長 お別れ会 心より追悼の意を表します
追悼 メニコン創業者 田中恭一名誉会長
2024年3月10日(日)
メニコン創業者 田中恭一名誉会長は
老衰のため満92歳にて 永眠されました。
故人のご冥福をお祈りし、
心より追悼の意を表します。
故人のお誕生日の7月8日
故人をを偲び献花による「お別れの会」の
ご案内をいただいたので、
奥さんと参列をしてきました。
場所は、 愛知県名古屋市中区にある
メニコンシアターAoiです。
朝、会社に出勤して、新幹線の時間まで仕事をして、
その後、名古屋まで向かいました。
田中恭一会長は
ハードレンズを開発した、
我が国のコンタクトレンズ業界の
パイオニアである「メニコン」の創設者です。
ハードコンタクトレンズの原型となる、
角膜コンタクトレンズの開発に
日本で初めて成功しました。
さんプラザコンタクトレンズが
1971年に創業したとき、最初の取引先は、
東洋コンタクトレンズ(現メニコン)でした。
以来、50年以上のお付き合いがあります。
田中恭一名誉会長は、日本の
コンタクトレンズ業界ではパイオニアのような存在です。
田中恭一名誉会長とは、これまで何度もお会いして、
いろいろコンタクトレンズ業界の歴史や
メニコンの歴史を教えていただいています。
多くの関係者や社員、取引先の方々が集まり、
会長を偲ぶ「お別れの会」が行われました。
会場は厳粛な雰囲気に包まれ、
皆さんの悲しみと敬意が
感じられる場となっていました。
田中恭一名誉会長は
絵を描くことがお好きで、
趣味として多くの作品を残されていました。
特に、書画の製作が得意で、
会場の受付には、これまでのたくさんの作品が
飾られていました。
私も、田中恭一名誉会長が書いて下さった
達磨大師の絵を頂いています。
私が以前、メニコン本社を訪れた時、
私から献本した博士論文について田中恭一会長(当時)から
会長室で感想をお聞きした思い出があります。
会長は、学術的な内容について、しっかり読まれいて
関心のある部分には、付箋を貼っているページもありました。
私からは「私にも達磨大師の絵を描いて下さい」とお願いしました。
そのことを田中恭一会長は覚えて下さっていて、
描き上がった絵を贈呈してくれたのです。
(過去ブログ:田中恭一会長から託された、達磨大師の絵)
メニコン シアターAoiでは
お別れ会の他に、
田中恭一会長の世界展が開かれていました。
会場には、たくさんの作品が展示されています。
とても大きな作品もありました。
これだけ大きな作品を作るのは
とても凄いことです。
この数々の作品を生み出した、
執務室が再現されていました。
執務室の奥にあるデスクには常時、
刻画制作に使用する道具が置いてあり、
刻画制作はこのデスクで行っていたそうです。
全て実際に使用していたものを
こうして展示してあるようでした。
作品の他にも、
田中恭一会長の生い立ちや
コンタクトレンズに対する取り組みなど、
コンタクトレンズやメニコンの歴史も
展示されていました。
田中恭一社長(当時)のリーダーシッ下
メニコンは日本のコンタクトレンズ業界での
市場リーダーの地位を確立しました。
新しい技術や製品の開発に積極的に取り組み、
品質と安全性を追求する姿勢を貫きました。
その理念は、「正しいコンタクトレンズの普及」でした。
メニコン田中恭一会長と
2018年に、田中正子ご夫人とご一緒に、
さんプラザコンタクトレンズへ
来訪していただいたことがあります。
我が社に表敬訪問に来られたのです。
メニコン田中恭一会長夫妻が
ご一緒に得意先を訪問することは、
これまでなかったそうです。
第一回目の得意先訪問は、新婚旅行を兼ねて
得意先に集金に訪れたのが最初で、
第二回目が今回のわが社への
60年ぶりの、お二人揃っての得意先訪問だそうで、
松葉博雄も緊張しながら
お迎えをしたことを今でも覚えています。
(過去ブログ:メニコン田中恭一会長と田中正子ご夫人のご夫妻の来訪)
コンタクトレンズ業界の話から、
会社設立当時の頃の話、家庭の話、
田中恭一ご夫妻の お二人の馴れ初めなど
様々な話をしました。
その後は店舗を見て頂きました。
メニコンの田中恭一会長が、
さんプラザコンタクトレンズの
本店営業部を訪問するのは、
この時がが初めてだったのです。
奥様の正子夫人も、
取引先の店舗を訪ねることは、
60年振りの事です。
次は、眼科の診療所前です。
診療中で患者様も多くいらっしゃったので
医院の中には入りませんでした。
なかなか広いところですねと、
田中恭一会長は言われたので、
まだ他にも店舗があるので、
あとで他の店舗もご案内しますと、言いました。
1階店も見て頂きました。
田中恭一会長は、大きなウィンドウで
メニコンのメルスプランを紹介する、
モニターを見つめておられます。
後ろに機器もないのに、
画像がガラス面に出るのは、不思議なようです。
プロジェクターで
投影している事を説明すると、納得されました。
まだまだ、書ききれないほどの思い出が込み上げてきました。
哀悼 田中恭一名誉会長のご冥福を心より祈念いたしています。