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沖縄県国頭郡恩納村の周辺 沖縄県 その2

国道58号線に沿って車を走らせると、恩納(おんな)村に入っていきました。

恩納村に入ってラマダルネッサンスを過ぎたころに、恩納村が経営している「恩納の駅」という市場があります。

前は、前兼久の海が広がります。道路に沿って椰子の並木道が続いています。

こんな風景はもう亜熱帯のようです。きっと誰だって思わず写真を撮りたくなるような、絵葉書のような景色です。

最近、作られたばかりの恩納村の「恩納の駅」は、訪問するたびに賑わいが伝わってきます。

恩納村が関わっている市場なので、清潔で安心できる市場です。

「おんなの駅」といいます。ここに車を入れて買い物をします。


生活に直結するような食料品、お酒、調味料、みやげ物、サーターアンダギー、野菜、焼きたての食パンなどが並んでいます。

このあたりの特産物とか、道の駅のような感じで色々なものを売っています。

2階の席では、喫茶店があるようなので、景色も見物がてら上がってみました。


2階の喫茶店では、焼きたてのパンを売っています。そこでハイカラなことにコーヒーを飲むことにしました。

恩納の駅から見える外には、今日泊まるホテル、恩納マリンビューパレスも見えます。そして、その先にはムーンビーチ、そしてムーンビーチホテルが見えます。


恩納村は沖縄の中でも早くからリゾート地として開発が始まりました。それは、ここの付近が最も沖縄らしいビーチと森があるからです。

戦後、アメリカ軍が恩納村にある浜辺をムーンビーチと名づけ、海水浴が始まりました。


恩納の駅」に隣接して、恩納村の歴史と文化を伝える恩納村博物館が最近できました。

すぐ隣なので、恩納村の恩納村博物館に行ってみることにしました。入場料は大人100円ですが、大学院の学生証を見せると、学生割引で50円になりました。

受付のおじさんは、松葉博雄が学生証を出したときには、びっくりした顔をして、学生証をまじまじと見つめていました。


 少し硬い話しになりますが、お付き合い下さい。恩納村の歴史について少しだけご紹介します。

1852年アメリカのノーフォーク港を出航したペリー艦隊は、江戸幕府への開国要求のために日本にやってきます。

1853年、江戸を目指す一行がまずやって来たのは、琉球の那覇港でした。江戸へも、沖縄から向かったのです。

来航したペリー艦隊は、王府との交易などの交渉の他に、沖縄本島内を探検し、動植物、天文、地理などの調査を行いました。

探検隊はボートを使い、海岸線に沿って北上し、金武から山を越えて東側を越えて、恩納を通って南下します。

恩納間切では、名嘉真村から恩納番所へと道を辿っています。彼らは海岸線の美しい絶壁を褒め、険しい谷間の入り口の村を見て、恩納村が島内にある一番美しい地点の一つであるとして、その恩納村の景色の美しさをまるで一幅の絵のようだと言っています。

 那覇から嘉手納への鉄道が開通した1922年(大正11年)、国道街道の東側、道以外に何もないやまどの海岸で鉱泉を試掘(しくつ)する人々の姿です。

沖縄では数少ない温泉の、恩納村山田温泉の始まりです。

沖縄では温泉は珍しく、恩納村の山田温泉は長い間人々に親しまれました。現在、国道58号線の西側、恩納村に大型ホテルの並ぶ大リゾート地帯となっています。

この一枚の絵は、リゾート地、沖縄の始まりを写し出しています。




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