Home > OFF(仕事を離れて) > 松葉博雄の沖縄研究室 > 沖縄 訪問:1967年 はじめての沖縄訪問
石垣島の川平湾に行く途中では、草原には水牛が放牧されて本土で見る牛とは、色といい角の形といい大きな違いに驚きながらも、ついちょっかいを出して草を摘んで牛に誘いをかけてみました。
石垣島の由来は、台風に備えて家の周りに石垣を積んでいる風景から「石垣島」になったのではないかと、容易に想像つきます。 集落の中で子供たちが11月でもシャツ一枚で遊んでいる中に入っていきました。沖縄訪問にはパスポートが必要であっても、沖縄は日本国内です。言葉はちゃんと日本語で会話できます。 石垣島の子供たちがお金の数え方を話しているのをそばで聞いていると、一銭、二銭、十銭と呼んでいるので、最初は何のことかわかりませんでした。確か一銭は明治の時代の筈、と考えていたら、わかりました、わかりました。 1ドルの100分の1が1セントです。この「セント」を「銭」に聞こえたのです。「セント」と最後まで言わないで「セン」だけだったので、わからなかったのです。 石垣島の民家の前の道端に座り込んで、縄を使って子供たちは時間を忘れて遊んでいます。私はその中に少し大人の感じで入り込んで、子供たちの遊んでいる様子を見ながら少しずつ打ち解けて話を聞いています。 後ろには風除けの石垣が積み上げられ、その後ろには民家があります。家の庭にも暴風林が植えられ、日常生活の中で台風への備えが伺えられます。 ちょっと庭からおうちの方に声をかけても、石垣島の人は気軽におうちに入れてくれます。 本土の神戸から来た事を言えば、縁側に座ってお茶も出していただき、もてなしてくれました。 「芭蕉布」の歌の歌詞にあるように、 気候の暖かさ、人情、食べ物、草や花の美しさ、エメラルドグリーンの海、砂浜、寂しそうな三線の音や、うきうきするような太鼓の音、目に見えるもの、手に触れるもの、口に味わうもの、耳に聞こえるもの、肌に感じるもの、鼻に匂うもの・・・、沖縄の色々なものが私を魅了し続けます。 1967年から既に60回以上は、本島をはじめ、周辺の離島、八重山諸島、石垣島、西表島、など、ほとんどの島を訪れました。沖縄を好きになったのは、最初のこの出会いからと思います。 沖縄訪問はこの後どんどん続いていきます。 |