こちらのページは新しい松葉博雄のブログページに移動
します。
移動しない場合はこちらから
お盆休みの沖縄 その3「2日目:平和祈念公園〜第60回終戦記念日なのに、なんと祈念資料館は定休日でした、あなたはそれでいいんですか?〜」
糸満市の摩文仁にある平和祈念公園に着きました。ここは、遠くから見てもわかる、沖縄平和祈念堂があります。
これは、平和を祈る合掌を形とった高さ45mの角錐形の堂宇で、人類の恒久平和を祈る沖縄平和記念像 (高さ12mの座像)を安置しています。堂内収容人員は、約800名です。
今日は終戦60周年の記念日です。きっと、盛大な追悼式典があるものと思って、資料館に入って行きました。
ところが、今日が終戦記念日なのに、この資料館は月曜日が休館日を頑なに守り、本日休館と貼り紙がされて、中に入ることはできませんでした。
入口ではテレビ局のカメラマンが何を映せばよいのか、困っていました。仕方が無いので、閉館で入れなかった人の落胆した顔を撮っていました。
中に入るのは自由なので、たくさんの犠牲者の祈願である石碑をお参りしてきました。
中心には平和の祈りの火が燃え続けています。ここで平和の祈りをささげてきました。
平和祈念資料館の入口に、本日休館日と表示していたために、その奥にある「平和の礎」にまで来ることなく、入口で引き返してしまった方が多いので、残念に思いました。
そんな状況の、人影が少ない中で、嬉しく思うことがありました。
それは、戦争を知らない若い高校生の人たちもお参りをし、敬虔な祈りを捧げている姿を見たからです。
やはり、あの惨たらしい戦争を避けるためには、たくさんの犠牲者があったことを若い人たちも知ってほしいと思いました。
摩文仁の丘には、黒い御影石が整然と並び、磨かれた石の表面には、とてもたくさんの名前が刻まれていました。
沖縄戦での犠牲者となった約20万人もの名前が刻印されています。
地域の町ごとに、名前が整然と彫り込まれ、これだけのたくさんの犠牲者がここに眠っているのかと胸が痛むほどの哀しみに、両手を合わせ、平和のありがたさを込めて、祈念してきました。
「平和の礎」の前には、エターナルファイアが今日も燃え続け、その先には、何事もなかったような太平洋の波が、あの時のように押しては引き返して、白波を残していました。
しばらく、犠牲者の冥福を祈ったあと、公園を去るにあたり、あたらためて、今日のような戦後60周年の記念日でも、月曜日だからという理由で閉館してしまっていることに、これでいいのだろうかと考え込んでしまいました。
帰る道すがら、大きな風力発電の風車が何基もあり、珍しいので行ってみると、そこは植物公園になっていました。
入場料は無料なので、温室の中をぐるっとまわって見てきました。大きなマンゴーの実がぶら下がっていて、鼻を寄せて、匂ってみれば、甘いマンゴーの香りがほのかに伝わってきます。
お盆の供養に、今日はここ沖縄で、本土決戦を前に多くの戦死者、犠牲者にお参りをすることができ、花を捧げ、祈念をしたことで、気持ちがなんとなく洗われたように思いました。
奥さんは、暑い日中に歩き回り、やや暑さに参ったようなので、ホテルに戻って休憩します。私は、これから今夜のゴルフに対して、軽い気持ちの高ぶりを感じています。
さて、10年ぶりの私のゴルフは、地元の朝日会のおじさんたちに通用するでしょうか。どんなプレーになるのか、ハラハラ、ドキドキする試合前の選手のようです。
|