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沖縄県久米島沖はての浜の思い出
〜無人島の沖合いで携帯電話で年賀をする〜

 ホームページを作るようになって、沖縄のことをいろいろと思い出すようになりました。

 沖縄はすでに60回以上は訪れています。今日のご紹介は、南の果ての白い珊瑚礁の浜、歌の文句のような島が本当にあるのです。

 この島には人が住めません。それは水がないからです。日陰もありません。椰子の木一本すらありません。

 あるのは、照りつける太陽と、白い砂浜、ときどき飛び交う海鳥等です。

 この様な思い出をこれからご紹介します。

 

 2001年1月2日、久米島から船をチャーターし、砂浜だけで出来た島、「はての浜」に行きました。

 久米島の沖合7kmに横たわり、仲里港から船で約20 分のところにあります。

 地図で見てみると、奥武島、オーハ島の延長線につながっているように見えます。


 港から出て行くと、まもなくはての浜の砂地が見えてきます。長さは7kmあります。


 遠くから見ている時は、沖合いの白い線にしか見えなかった島が、近づくにしたがって丘のような砂浜になってきました。

 浜辺に近づくと、透き通るような透明度が海の底まで何もないような錯覚におちいります。

 カラフルな熱帯魚が人気を感じてサッと逃げていく姿も間近に見えています。


 ボートは、桟橋がないので、浜辺の近くに係留し、そこからは歩いて上がります。

 これが男前の俳優と美人の女優なら、彼が彼女を抱いてかっこのいい上陸方法になるのですが、私の場合は絵になっていません。

 少しかっこをつけて奥さんにカメラアングルを指示しながら写真を撮ってもらいました。

 砂浜は、貝殻や珊瑚の小さな砂粒から出来ている白い島です。

 砂粒を手に取って、指で広げて見ると、貝殻の小さなものや珊瑚がくだけたものなどが星の砂になっています。

 人はおろか陽を遮る木ひとつない、本当の無人島です。あまりにも暑いので、奥さんは奮発してパラソルをお金を出して借りました。

 陽が移動すると、影も移動するので時々は居場所が日時計のように移っていきます。


 用意してきたシュノーケリングを付けて沖合いに出たボートから、シュノーケリングをしました。

 1月とは思えないような暖かさです。波の上を見ていると、平らなような海も少し中に潜っていくと、そこには珊瑚の起伏があります。一つの小山のようなふくらみに、しいたけを立てたように珊瑚のテーブルが重なり合って群生しています。

 その珊瑚の隙間や割れ目には、忙しそうに熱帯魚が顔を出したり隠れたりして、私が突然現れたことにいろいろな狼狽と反応を見せてくれます。

 大きな魚ほど平然としていて、小さな魚は動きの素早い反応を見せてくれます。少しずつ目が慣れてくると、イソギンチャクが海流にゆらゆらと揺れていて、その影にクマノミが見え隠れしていることが見えてきました。やはり、イソギンチャクのそばにはクマノミがいて、クマノミを見つければその近くには、イソギンチャクの柔らかな風に吹かれるような様子を見ることができます。これを見ると、ここまで来てよかったと思います。

 時々は船にいる奥さんの方を探して、少しばかりお愛想をしないといけません。

 この写真はお愛想をしている最中の写真です。水中で足を上手にバタバタしながら、海上部分では、自然に立っているような感じを出すのは、実際やってみると難しいことがわかります。シンクロナイズドスイミングのようなものです。


 浜辺の水際の色合いは、陽が照る時と、陽が曇っている時では大きく違います。

 陽が照っているときの砂浜は、目が開けていられないほどの眩しさと反射があります。雲が出てくると、やや寒気を感じ、白い砂浜はやや生気を失った沈んだ色合いになってしまいます。

 驚いたことが一つあります。少し息継ぎをしているときに、船にいる奥さんから電話がかかってるよと言われました。

 大急ぎで船の手すりのそばに泳いで行き、手を拭いて塩がつかないように電話を受け取りました。携帯電話の相手は、なんと神戸商大の小西先生でした。

 小西先生がお正月のご挨拶と、次のゼミナールの発表についての打ち合わせでした。きっと小西先生は私の下半身は今、南の島の無人島「はての浜」の沖合いに沈んでいるなんて、絶対にわからなかったと思います。とても不思議な体験でした。

 1月の真冬のときに、無人島の沖合いで、小西先生からゼミの相談のお電話をいただくなんて思ってもいませんでした。携帯電話の不思議さはここにあります。時と空間と距離を超えて、自由に会話が出来ることです。このことを、あらためて感心した一日でした。