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衆議院議員 盛山正仁先生のお人柄と神戸後援会発足祝賀会
2006年3月26日(日)のことです。衆議院議員盛山正仁先生が、突然、松葉博雄を訪ねて来られました。盛山正仁先生が、なぜ、松葉博雄を訪ねて来られたのか、時間をさかのぼって説明してみます。
2005年8月8日、小泉純一郎内閣総理大臣は、衆議院を解散しました。総選挙に突入することになりました。その時、盛山正仁さんは、国土交通省で総合政策局情報管理部長を勤めていました。
突然の解散に対して、兵庫県一区(中央区、東灘区、灘区)の自由民主党の公認候補として、盛山正仁さんは小泉首相から呼ばれ、即日辞職をし、立候補をすることになりました。
この辺が、人生の分かれ目というのでしょうか、朝、自宅を出るときには盛山正仁さんは、国会議員に立候補することになるとは、思ってもいなかったようでした。
さて、自由民主党公認候補として、兵庫一区で立候補するとなると、さっそく、地縁・血縁を頼り、できるだけ幅広い人脈を頼り、後援会組織作りが始まります。
盛山候補は、自由民主党の組織に乗り、小泉純一郎内閣総理大臣の人気に支えられ、比較的条件の良い選挙が始まったようですが、それはそれでも、選挙は蓋を開けてみなければわからない不安定要素いっぱいの状況です。
盛山候補と神戸とのつながりは、彼が東灘区にある名門学校の灘中学校と灘高等学校を卒業したことです。今回の兵庫一区は、それ以来のお里帰りになります。
選挙が始まると、松葉博雄は盛山正仁候補の選挙事務所を訪れました。これまで、特定の政党、政治家とのつながりがないので、選挙運動自体がとても興味が湧き、一度選挙事務所とはどんな様子かを、視察に行きました。
2005年8月8日の衆議院の解散は郵政解散と言われ、公示日は8月30日、投票日は9月11日でした。開票の結果、盛山正仁候補は95,746票を獲得し当選、盛山正仁衆議院議員が誕生しました。
その後、盛山正仁衆議院議員は、ご挨拶のために松葉博雄のところまで、わざわざ二度もお訪ねいただきましたが、あいにくと松葉博雄が留守と重なり、なかなかお話をする機会がありませんでした。
2006年に入ると、選挙の興奮も一段落していました。2月にはいると、盛山正仁先生から、2006年3月10日に後援会の発足祝賀会があり、ご招待の案内状が届きました。
祝賀会の場所は、神戸の新幹線の駅の側にあるニューオリエンタルホテルの10階です。
盛山正仁議員ご夫妻が紹介され、ご挨拶がありました。
盛山先生の奥様は、金屏風を背に、夫が見事衆議院議員に当選し、今日の後援会発足祝賀会の、「功名が辻」で名高い「山内一豊の妻」のようなお立場でしょうか。夫の成功を支える内助の功です。
盛山正仁議員には、3人のお嬢様と1人の息子さんがいらっしゃいます。その長女の方が、今日の祝賀会に花を添えていました。
金屏風を背に、たくさんの来賓の政治家、議員の方がお祝いを述べました。元自由民主党幹事長 古賀誠先生が最初に祝辞を述べられました。
元環境大臣の鈴木俊一議員、次いで、兵庫県知事の井戸 敏三氏が、挨拶をされました。お二人は、盛山正仁議員の職務上の先輩・上司にあたるということでした。
盛山正仁先生からの御礼の挨拶がありました。
自由民主党の83名の新人議員の83(ハチサン)会のお世話をしているというお話がありました。
地元神戸との関係は、国土交通省に勤務中、神戸空港の開港の業務に携わった時の話がありました。
衆参国会議員、県会議員、市会議員の先生方と、後援会役員などの方々が壇上に上り、鏡開きとなりました。
樽は10個ほど用意されています。ここに、一つ一つの樽に10人ほど並ぶと、100人ほどの重鎮が壇上に集結したことになります。
選挙は企業にたとえて考えてみると、票を集めることは、理念を訴え顧客を獲得することになります。
理念を定め、意志決定を行い、これを執行することは、経営も議員活動も、共通のように思います。企業の場合は、存続するために、さらに顧客の創造・獲得・維持の努力が続きます。
ミス着物のお嬢さんと並んで、盛山正仁先生のお嬢さまも、鏡開きに参加されました。
来賓の皆様からの祝辞の中に、議員は当選したその日から、次の選挙の準備が始まると言われました。今日の後援会発足祝賀会も、次の選挙に対する準備となります。
2006年3月26日に戻ります。盛山正仁先生とお話をする機会ができて、壇上に光り輝いていた盛山正仁衆議院議員の人間性を初めて身近に接して感じました。
とてもよく気がつきます。コーヒーをお出しすると、帰り際には「おいしいコーヒーをいただきましてありがとうございました」と言われました。
お話がとても明るい方です。「解散の日に、総理に呼ばれて驚きました」と、率直な感想をお話しされました。
腰も軽いです。「写真を撮りましょう、誰か写してください」と、我が社の社員をご自分で呼びに行かれました。
松葉博雄の奥さんも、盛山先生のお話しにすっかり共鳴し、明るい笑いが続きました。普段、政治家とのお付き合いがないなかで、驚きの一日でした。 |