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阪神淡路大震災追悼の行事
2006年1月17日、阪神淡路大震災の11回目の記念日です。この日は、松葉博雄には2つの行事がありました。
昨年の2005年1月には、阪神大震災の10周年の哀悼の意を表し、松葉博雄の社長研究室にも、特別ページを作りました。罹災した経験をバネに、復興を目指し、立ち上がっていく様子をホームページ上に連載しています。
1つは、震災行事として「悲しみのオーケストラ」を神戸国際会館に聴きにいきました。
コンサートは神戸の震災の日に、世界で初めてこの悲しみの追悼曲を演奏するので、舞台の演奏者、指揮者の方々は全員喪服姿で異例の黒い服です。
まず、音あわせをバイオリンが始めます。日独協会の黒崎会長があいさつをされます。このコンサートは、大阪音大の永井和子先生がプロデュースされたそうです。
「悲しみのシンフォニー」フォンメル氏が作曲しました。
この曲は深い孤独のなかで、悲しみ、不安、ふるさとへの憧れなどを瞑想して作った曲で、この曲を演奏する前と後ろ、つまり、指揮者があいさつそして終わったときに、この悲しみのために「いつものような拍手をしないで下さい」と、日独協会の黒崎会長から念を押されました。
第2節目では、ステージ上で指揮をする人も、あるいはそれぞれの楽器で演奏する人たちも大変若い人たちが多いことに気がつきます。
松葉博雄の周りの席の方は、催眠術にかかったように、前屈した姿勢やそり返した姿勢でまるで催眠術にかかった人のように、スタイルが眠っている人が何人もいます。
演奏というものは見るものなのか、聴くものなのか、考えて聴きました。瞼をとじて、11年前の震災に思いを寄せて黙想して聞いている人もいるように思えます。
それぞれの楽器が出す、まるで不協和音のような合奏の中に、駆けつけるサイレンの音が聴こえてきました。
そしていつか「悲しみのシンフォニー」は終わり、黙祷です。
次に、三宮の神戸市役所の隣、東遊園地で行われた阪神淡路大震災1.17の集いに行ってきました。
ここでは、神戸商科大学大学院MBA卒業生の大寺真理子さんがお世話をしているので、励ましにいきました。
菊の花で献花です。菊の花をいただいてそして、献花しました。
竹筒に灯した、ろうそくの灯りが鎮魂の明かりとなります。
いつの間にか、もうあの神戸の大地震から11年の歳月が経過し、ニュースの報道の扱いも少しずつ小さくなりつつあるように感じます。
今朝の朝日新聞夕刊のトップには、阪神大震災から11年の歳月が経過したことを伝えていました。
東遊園地には、グランドに竹筒を沢山立て、ろうそくの灯りを慰霊に来た方が見つめています。
三宮の東遊園地の一隅には、エターナルファイアーとして、命の灯火を燃やし続けている灯りがあります。
そばによって石碑に書いてある文字を読んでみると、「希望の灯り」だそうです。
人間はたった1秒先のことがわからないけれど、震災が起きた後は、みんなが助け合って、励ましあって、譲り合って生きてきた、あの1995年1月17日のことを忘れないようにという意味のことが、記載されていました。
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