京都府与謝野町 加悦 町並み保存地域 ちりめん街道 スタートは、井筒屋旅館からです。

投稿No:8273

町並み保存地域 京都府与謝野町加悦 ちりめん街道  井筒屋旅館

ちりめん 縮緬とは

ちりめん(縮緬、クレープ織り、仏: crêpe)とは、

絹を平織りにして作った織物です。

縦糸にはほとんど撚り(より)のない糸を使い、

横糸に強い撚りをかけた右より

(右回りにねじる)と左より

(左回りにねじる)の糸を交互に織ったものです。

染め加工前に高温で揉んで(精錬) 

撚りを戻し表面に凹凸(シボ)を出した織物の事です。

主に高級な呉服や風呂敷に使われます。

日本のちりめんの主なものに、

京都府丹後地方の丹後ちりめん、

滋賀県長浜市の浜ちりめんがあります。

現在、京都府丹後地方では

原料の糸を絹から綿・化合繊に変えた

丹後ちりめんも織られています。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ちりめん街道のスタートは井筒屋旅館から。

ちりめん街道のスタートは、

京都府指定文化財の旧加悦役場庁舎から始まります。

ここに車を置いて、ちりめん街道に入ります。

ちりめん街道の実質的なスタートは、

井筒屋旅館からです。

井筒屋旅館は、

大正時代の開業の雰囲気を存分に残して、

今も営業を続けています。

こちらの若女将は、

ペンション自給自足の

勅使河原家から嫁いできています。

今日は若女将に、

私たちのもてなしをして頂きました。

優れたちりめんは、娘が生まれると、

織り始めて、嫁ぐころに完成し、

その花嫁衣裳を着て、お嫁に行った後も、

次の娘にもその花嫁衣裳が伝えられた

という長年使えるほどのちりめんだそうです。

ちりめん街道はこれまで見てきた、

岡山の倉敷美観地区   

滋賀長浜城下町、 

京丹後の豪商稲葉本家

などのように、

歴史的文化財を今日に伝えている地区です。

案内通りの全てを見て回るわけにはいかないので、

主なところを回りました。

旧尾藤家住宅を訪れると、

中に案内係の女性が待機していて、

いろいろと説明してくれました。

尾藤家を見て、尾藤家住宅は、

江戸時代末期の文久三年(1863年)2月に着工し、

慶応元年(1856年)6月に完成しました。

昭和3年には、11代尾藤庄蔵が、

念願の洋館を建築しました。 

洋館は、大林組設計部長の

今林彦太郎の助言を受けてたてられ、

昭和五年には今日の

尾藤家住宅の姿となったそうです。

案内していただいて、

洋館応接室を見せていただきました。

ここはプライベートルームです。

ベッドなども今も保存されていました。

昔、尾藤家にお嫁入に乗ってきた

駕籠が今も保存されていました。

納屋の高さほどの高いところに置かれていて、

上を見なければ見過ごすほどの高いところでした。

入口の広間のお座敷には、

紋所入りのおおきなチリメン布に

三韓征伐の神功皇后 (じんぐうこうごう)

の絵が描かれた幡多刺しモノのようなものが広

げられていました。

 

案内係の女性の方は、

尾藤家の家人のように、

屋敷の隅々にわたり、詳しく

説明をしていただきました。

船箪笥 北前船の金庫

珍しいものを見せていただきました。

船箪笥です。

船箪笥は、船頭や船乗りが使った箪笥のことで、

これは帳箱と呼ばれるものです。

帳箱とは、航海上の重要書類である

往来手形や商取引上の

仕切書や現金などを入れていました。

特に、北前船主が使った船箪笥は

金具で装飾をした豪華なものが多くあります。

利潤の高さから豪華な船箪笥を

買い求めることができたといわれています。

10代尾藤庄蔵は、明治10年頃に

「蓬莱丸」という500石積みほどの大型の

北前船を所有しており、

由良の市三郎が船頭として乗り組んでいました。

船箪笥の産地は大阪、江戸、

佐渡の小木、出羽の酒田、

越前の三国が知られています。

 

お風呂

これは懐かしいお風呂です。

私は小学生の頃は、

こんなお風呂に入っていました。

部屋の外に、風呂の焚口があります。

風呂釜は鉄なので、温度が上がると熱くて、

素足では熱くてはいれません。

そこで、板性の簀の子に乗って、

簀の子を沈めるのですが、

子供の体重では、簀の子がなかなか沈まず、

難儀した思い出があります。

 

尾藤家の屋敷の中庭を囲むように建物があり、

屋敷のどの部屋からも、

中庭が見えるように配置されていました。

マップでは、沢山の屋敷が残っていました。

ちりめん街道に並ぶ建物、役260棟のうち、

役120棟が、江戸・明治・昭和

初期の建物が残っているそうです。

ちりめん街道を歩いていると、

機織り機の機械の音が外にまで聞こえてきました。

どんな織物をおっているのか、

中に入って見せてもらいました。

機械の音がげただましく鳴っているので、

中の作業をしている方とお話を聞

いても、あまりはっきりとは

聞き取れないほどの騒がしさです。

井筒屋旅館で昼食

ぶらぶらとちりめん街道を散策した後は、

再び井筒屋旅館に戻りました。

ここで、皆さんと一緒に昼食です。

運ばれてきた今日のお昼の料理に、

井筒屋の楽しみ方と書かれた

手製の案内書が置かれていました。

開けてみると、井筒屋の目標は笑顔でいること。

笑顔にすること。だそうです。

食品廃棄物を減らす工夫が書かれています。

その取り組みは

1.予約専門店なので、食材の無駄が少ない。

 料理は予約された料理だけ作り、

 作り置きが無いので無駄な料理がないそうです。

2.食物連鎖を大切にする

 余った料理は契約農家の鳥の餌に使い、

 その鳥が生んだ卵を料理に使っているそうです。

 

井筒屋旅館は、昭和8年に再建されてた、

そう2階平屋の建物で、旅館建築

の建物としてどうどうとした構えを見せています。

今では、井筒屋旅館が

街道沿いに残る、唯一の旅館です。

昼食は、車を運転しない人は、

冷たいビールを頂いています。

井筒屋旅館の若女将さんから、

ペンション自給自足で子供のころ、育った時

の話などを聞かせてもらいました。

食事を終えた後は、

これで同窓会の予定は終了です。

ここで、解散するので、

井筒屋旅館の前で、集合写真を撮りました。

 

幹事の宮崎さんには、大変お世話になりました。

ありがとうございました。

同窓生と話し合うと、話題は健康のことが中心でした。

ここが痛い、あそこが痛い。

こんな薬を飲んでいる、これは効くとか、体の

話が大方でしたが、

来年もまた会いましょうと約束ができました。

2019年5月24日(金

ペンション自給自足へ戻る

同窓会 マレーシア旅行の思い出を見る

街並み保存地区 関連記事 アーカイブ