池に植えたスイレン 綺麗な睡蓮の花が咲いた 睡蓮の花は  心の平安の象徴とされています

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 綺麗な睡蓮の花が咲いた 睡蓮の花は 心の平安の象徴とされています

隣地の元棚田の泥池を

見に行ってみると、とても綺麗な

睡蓮の花が咲いていました。

隣地は元々、棚田として利用されていたので、

少し土地を掘ると、

水が湧き出てくる場所があります。

雨の後は、ぬかるみで、

水たまりのような沼地の池ができたので、

泥池を作ってみたのです。

その泥池に昨年、

スイレンの株を植えてみたところ、

思いのほか順調に根付き、

立派に葉を広げていきました。

そして今年、立派な花を

いくつも咲かせるようになったのです。

水面に浮かぶ丸い葉の間から、

綺麗に咲く睡蓮の花は

思わず見入ってしまう魅力があります。

昨年、大きな池に、

まだまだ小さい蓮の株を植えたので、

ここまで大きく順調に育って

とても嬉しく思います。

(過去ブログ:環境と成長の相反する二面性

睡蓮の花は、古くから

「心の平安」の象徴とされています。

睡蓮の花が「心の平安」の象徴と

されてきたのには、深い理由があります。

泥の中から芽を出し、

やがて澄んだ水面にたどり着き、

静かに、そして凛とした美しさで咲く

睡蓮の姿は、まさに人の心の成長や

浄化の過程に重ねられてきました。

濁った環境や困難な状況にあっても

汚れに染まらずに花開くその姿は、

どんな逆境にあっても心を失わず、

静けさと美しさを保って

生きることの象徴なのです。

仏教の教えの中では、

睡蓮や蓮は非常に重要な意味があります。

仏像の台座には蓮の花が

彫られていることが多く、

これは「蓮華座」と呼ばれ、悟りに達した者の

清らかさや尊さを表しています。

なぜ蓮の花なのかというと、

それはまさに

「泥の中に根を張りながら、

清らかな花を咲かせる」という

蓮の生態そのものが、仏教における

理想の生き方を示しているからです。

煩悩や迷いの象徴である

現世(=泥)に生きながらも、

それに染まらず、清らかに、静かに、

自分自身を咲かせていく姿が、

修行を経て悟りに至る道と重ねられてきました。

「ニルヴァーナ(涅槃)」とは、

煩悩や執着から解き放たれ、

安らぎと静けさの境地に至ることを指します。

火が消えたあとの静けさのように、

何ものにもとらわれず、

揺れ動かない心の状態を意味しています。

睡蓮や蓮が象徴する「心の平安」とは、

まさにこのニルヴァーナの世界に

近いものだと思います。

西洋でも

クロード・モネの「睡蓮」が

多くの人の心を打つのは、

花の美しさだけではなく、

そこに込められた静けさや永遠性、

そして心の奥底にある

「穏やかでありたい」という願いが

呼び起こされるからではないでしょうか。

睡蓮という存在が、文化や宗教、

睡蓮の花が綺麗に咲いて、極楽浄土を連想させてくれています

国境を超えて、人の心に深く響くのは、

そこに人間が求める根源的な

やすらぎの象徴が宿っているから

なのだと思います。

池をよく見てみると

睡蓮のツボミも出てきていました。

昨年、何種類かの睡蓮を植えたので、

どれも順調に育っていて

安心しました。

次は、白色の睡蓮が咲きそうです。

泥池が睡蓮で綺麗に彩られるのを

楽しみにしています。

花が咲くころに、

また見に来ようと思います。

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