池に植えたスイレン 綺麗な睡蓮の花が咲いた 睡蓮の花は 心の平安の象徴とされています
投稿No:10269
綺麗な睡蓮の花が咲いた 睡蓮の花は 心の平安の象徴とされています
隣地の元棚田の泥池を
見に行ってみると、とても綺麗な
睡蓮の花が咲いていました。
隣地は元々、棚田として利用されていたので、
少し土地を掘ると、
水が湧き出てくる場所があります。
雨の後は、ぬかるみで、
水たまりのような沼地の池ができたので、
泥池を作ってみたのです。
その泥池に昨年、
スイレンの株を植えてみたところ、
思いのほか順調に根付き、
立派に葉を広げていきました。
そして今年、立派な花を
いくつも咲かせるようになったのです。
水面に浮かぶ丸い葉の間から、
綺麗に咲く睡蓮の花は
思わず見入ってしまう魅力があります。
昨年、大きな池に、
まだまだ小さい蓮の株を植えたので、
ここまで大きく順調に育って
とても嬉しく思います。
(過去ブログ:環境と成長の相反する二面性)
睡蓮の花は、古くから
「心の平安」の象徴とされています。
睡蓮の花が「心の平安」の象徴と
されてきたのには、深い理由があります。
泥の中から芽を出し、
やがて澄んだ水面にたどり着き、
静かに、そして凛とした美しさで咲く
睡蓮の姿は、まさに人の心の成長や
浄化の過程に重ねられてきました。
濁った環境や困難な状況にあっても、
汚れに染まらずに花開くその姿は、
どんな逆境にあっても心を失わず、
静けさと美しさを保って
生きることの象徴なのです。
仏教の教えの中では、
睡蓮や蓮は非常に重要な意味があります。
仏像の台座には蓮の花が
彫られていることが多く、
これは「蓮華座」と呼ばれ、悟りに達した者の
清らかさや尊さを表しています。
なぜ蓮の花なのかというと、
それはまさに
「泥の中に根を張りながら、
清らかな花を咲かせる」という
蓮の生態そのものが、仏教における
理想の生き方を示しているからです。
煩悩や迷いの象徴である
現世(=泥)に生きながらも、
それに染まらず、清らかに、静かに、
自分自身を咲かせていく姿が、
修行を経て悟りに至る道と重ねられてきました。
「ニルヴァーナ(涅槃)」とは、
煩悩や執着から解き放たれ、
安らぎと静けさの境地に至ることを指します。
火が消えたあとの静けさのように、
何ものにもとらわれず、
揺れ動かない心の状態を意味しています。
睡蓮や蓮が象徴する「心の平安」とは、
まさにこのニルヴァーナの世界に
近いものだと思います。
西洋でも
クロード・モネの「睡蓮」が
多くの人の心を打つのは、
花の美しさだけではなく、
そこに込められた静けさや永遠性、
そして心の奥底にある
「穏やかでありたい」という願いが
呼び起こされるからではないでしょうか。
睡蓮という存在が、文化や宗教、
国境を超えて、人の心に深く響くのは、
そこに人間が求める根源的な
やすらぎの象徴が宿っているから
なのだと思います。
池をよく見てみると
睡蓮のツボミも出てきていました。
昨年、何種類かの睡蓮を植えたので、
どれも順調に育っていて
安心しました。
次は、白色の睡蓮が咲きそうです。
泥池が睡蓮で綺麗に彩られるのを
楽しみにしています。
花が咲くころに、
また見に来ようと思います。