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沖縄県恩納村 朝日会、海ぶどう、東村ヤンバルツアー、慶良間ホエールウォチング |
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原生林のように美しいヤンバルの広がりです。この近くには玉辻山が289mの高さであります。沖縄本島最北端の辺戸岬に行くには、与那覇岳天然保護地域となっているヤンバルの真ん中を走り抜ける、大国林道を通る道と東海岸を走る県道70号線のどちらかを選択します。 金城則正さんは松葉博雄の希望を入れて、東海岸ルートを選びました。 ヤンバルの林道を走っていると時々、警告書がありました。誰かに向かって、警告をしているようです。それは、国有林の山に入り、希少生物である、動物、植物などを盗掘、密猟、盗伐などが横行しているようです。これらの人に対して、「山に何を盗りに来るか」と警告を発せられています。 国頭村立安波小学校の前を通りました。林道を走っていると、あんまり人気がないのですが、安波(あは)地区に入るとお店もあり、定住地のようでした。ここらで一服ということになり、安波共同売店所で車を止めてお茶を買いました。 安波は海に近い村です。四方を山に囲まれた小さな集落です。売店所の前には、急勾配の斜面を利用した宅地があり、古い沖縄の茅葺き民家が最近まであったそうですが、2006年3月にはもうありませんでした。 ブーゲンビリアの綺麗な花をうつしました。安波川の川辺に咲いていた花です。 この安波川はすぐ近くの海につながっています。 安波から70号線を北上すると、山道は浜辺に降りる2号線を取り、安田(あだ)の村へ入ります。安田漁港はブルーツーリズムの拠点となっています。釣りやダイビングが楽しめ、夏になると海水浴客で村は賑わうようです。 海辺の向かいには無人島があり、野生のうさぎが多く飛び跳ねている安田ヶ島です。 安田村から見ると白い砂浜がこちらに向かって見えて、松葉博雄においで、おいでと言っているようでした。「きっと、いつの日か行くからね、待っててね」と思いながらも、今日はとりあえず下調べということで終わりました。 安田の村の河口はマングローブの林が河口に沿って生い茂り、まるで西表島のような雰囲気を残しています。ここで、カヌーなどの水遊びをして遊べば、一日は少年の日のような一日を過ごせるのではないかと思います。 次は船付き場に行ってみました。地元のおじさんに安田の村のことをいくつか質問して、安田ヶ島へ行く方法やベストシーズンについて、取材をしておきました。 安田から先は70号線を通り、楚州(そす)を経由し、奥(おく)を通り国道58号線へと入ります。 国道58号線とは不思議な国道で、その起点は鹿児島県鹿児島市山下町です。種子島、奄美大島を経由しながら海の上を通り、沖縄に上陸し、この「奥」から沖縄の南へ繋がっています。 国道58号線に乗って沖縄本島最北端の辺戸岬を折り返しのUターンとし、ここから宜名真トンネルを走り抜けます。沖縄ではめずらしい、長い距離のトンネルでした。 辺戸岬の折り返しから、海は東海岸から西海岸になりました。今日の海は波もなく、凪の状態でした。少しずつ陽は西に傾き、波間が反射して見えてきます。 また休憩です。道の駅おおぎみです。大宜味村は芭蕉布の里として有名です。芭蕉の株とバナナの株はとてもよく似ています。芭蕉布の歌については以前、社長研究室に掲載しています。 ここでは野菜がたくさん、だいこん1本100円。 このあたりは芭蕉でも有名で、芭蕉の苗鉢を売っています。一鉢2000円です。沖縄のみかんである、「たんかん」を買いました。 本州のみかんである温州みかんはみかんの表皮がやわらかく、皮がむきやすいですが、たんかんの表皮は硬く、むきにくいですが、味は甘くて、温州みかんに負けていません。 朝、午前10時過ぎからずっと、金城さんの案内で国頭郡をまわって、ヤンバルツアーを満喫できました。欲張ってあちっへも、こっちへも寄っているうちに、陽は傾き、恩納村に帰ってきたのは午後6時をまわっていました。 沖縄の海もいいけれど、ヤンバルの自然も良いので、やはり沖縄の魅力を尽きることがありません。金城正則さん、千賀子さん、ご同行していただき、どうもありがとうございました。
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このあたりでは宮里藍ちゃんは大スターです。 館内での写真撮影は禁止なので、中の様子は撮れませんでしたが、案内係の方は宮里藍ちゃんのすぐ近くのお家に住んでいるとのことで、とても詳しい説明を聞くことができました。 オリンピックアジア大会で金メダルをとった時のメダルも展示されていました。3歳の時からの始めたゴルフの成長過程をずっと展示されています。写真を撮れなかったのが残念です。 宮里藍ちゃんにメッセージを書いて応援するようにお願いされたので、メッセージを書きました。 最近の宮里藍ちゃんのサインには、「Ai54」と、書くようにしているそうです。54という数字は、目指すスコアのことです。 もちろんインとアウトの合計で、松葉博雄のように、インで54、アウトで54という意味ではありません。 一般に、ゴルフの初心者の目標スコアは、まず100を切ることから始まります。それが、54まで縮むということは、100より46も縮むことになります。 すごいなぁ。 この東村立山と水の生活博物館が建っているところは、元は個人所有の久高家が、村に寄付されたことによって、博物館が出来ました。 このあたりは、かつては、大変苦しい生活をしている様子が紹介されていました。ドルの時代、山に入って木を切る仕事をすれば、一日3ドルもらえたそうです。 一日3ドルは今のお金にすると幾らでしょうか? 5セントか10セントで、だいたい100円から200円の物が買えたようですから、今の2006年なら、一日5千円ぐらいでしょうか。 現金収入が大変少なかった時に、山に入って裸足で、木を切るという仕事を男性も女性もしたそうです。 山で切った木は、柱に使う支柱や、たきぎ、建築用の木材として、名護や那覇から船で買い付けに来ていた仲介者に売られ、村の生活を支えていたようです。 今は、こんなきつい仕事をする人はいません。国有林にも指定され、伐採もしていません。 山と水の生活博物館のすぐそばの様子を写真に写してみました。原生林の様子がわかるでしょうか。 右の大きなかぶらは、サキシマスオウノキの切り株です。こんな大きな木がこの辺りには、たくさんあったようです。 山と水の生活博物館のすぐそばに、野生のイノシシ「りゅう」くんが檻に入れられていました。 かつてはこのようなリュウキュウイノシシが、ここ東村にはたくさんいたようです。りゅうくんは小さいときから飼われていたのか、人になついて、えさをおねだりしているようです。 山と水の生活博物館の敷地の中には、バナナの木が植わってバナナの実がなっていました。 山と水の生活博物館を出た後は、この近くに宮里藍ちゃんが行った小中学校があるので、そこに行ってみました。小中学校のすぐ前は海です。 東村立東小学校と東中学校です。ドルの時代は、どんな校舎だったのでしょうか。今は本州のどこにでもある小中学校のような、鉄筋コンクリート造りの平均的な姿の小中学校でした。 唯一、特徴的なのは、沖縄風の赤い瓦と白い漆喰が屋上の屋根に使われていることです。 小中学校のすぐ前は海です。この海はさきほど村民の森から見た平良湾です。 この後は、パイナップル畑を見て、福地ダム、福上湖に回ります。東村はパイナップルの村と言われるほど、パイナップル畑が多く広がっています。
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