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伊江島からフェリーで帰る 沖縄県 その8

城山(ぐすくやま)城山(ぐすくやま)のすぐ真下まで行きました。もし、天気が良ければ車から降りて、階段を上り、手すりにつかまって頂上を目指すつもりでした。

伊江島は、この山が一番高く、城山のてっぺんから四方は全て見渡せるパノラマ状態です。


 

芳魂の塔車は、城山を過ぎて、次の目的地に、先の第二次世界大戦沖縄戦でたくさんの犠牲者を祀る「芳魂の塔」を参拝しました。この「芳魂の塔」の石碑の墓誌の方式は、前回夏に訪れた平和祈念公園にある「平和の礎」と同じように見えました。

一人一人の名前が地域別に分けて、彫られています。兵庫県から伊江島に来て、戦死された方の名前もたくさんいらっしゃいました。

気になったのは、姓は違いますが、名前が「博雄」さんが一番最初に記載されていました。どんな方だったのでしょうか。そして、最期の総攻撃を受けた頃はどのような状況でお亡くなりになったのでしょうか。

まぶたを閉じて、知っている範囲の戦争のむごい状態を想像しながら、しばし、戦没者の慰霊に対して黙祷をしていました。

芳魂の塔 芳魂の塔

そろそろ帰りの便の時間です。最初乗るときにフェリーの係員に言われたように、出航の30分前には、受付で乗ることを、待機していることを申告しないと、船に乗せてもらえないので、買い物も考えると、3時には港の方へ戻ることにしました。

そして、乗船のチェックを受けて、どの場所で待つかの指示を受けます。それから車を指定された場所に並べます。

これが夏だと、駐車場は車でいっぱいになります。

来る時も、そして帰る時も感じたことは、伊江村の村営汽船の独占企業としてのサービスの悪さです。初めての人に対しても今まで知っている人と同じように扱われます。それほど親切にしてくれません。

伊江島にフェリーで運ばれてきた荷物を見ていると、陸揚げされ、そして指定の場所へフォークリフトで運ばれていきます。そこには待ち受けている人たちがいます。伊江島の港は、離島の港の特有の雰囲気を持っています。

フェリーに乗って伊江港から沖縄本島の本部港への出航を待ちます。


離れていきます。船が伊江港を出て、15分もすると、城山(ぐすくやま)が大きく見えていたのがだんだん小さくなっていきました。


そして島全体がわかるようになりました。ちょうど軍艦のようです。

もう少し離れると、今度は潜水艦のようにも見えます。

進行方向に向かって右手の方に水納島が見えます。

そしてすぐに瀬底島が近づいてきます。瀬底島が右手に、本部が左に見えます。それを結ぶ橋をこれから通過します。そうするとすぐに本部の港です。

半日の日帰り旅行になりましたが、伊江島は伊江島だけの美しい風景と、この島ならではの観光名所がありました。


この伊江島にはハブがいるそうです。ハブがいる島と、ハブがいない島では、住民の人たちのハブに対する恐怖心や対策がまるで違います。

ヤシガニがいるかどうかも気になり、出会った人にヤシガニのことを尋ねてみました。伊江島では、ヤシガニを捕まえて食用として食べる生活習慣はないようです。

今夜の朝日会に出席する予定なので、これから国道58号線を南に走り、恩納村に帰っていきます。



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