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阪神淡路大震災復興物語

10.阪神淡路大震災後8日目:混乱は続く

1995年1月24日(火)

この日は有馬からさんプラザビルに出社してみました。 有馬から三宮へ行くことは、バスルートが頼りになっています。神鉄も動いていませんので、バスに乗って三宮まで長い時間をかけて渋滞の中、たどり着きました。

「6階部分が崩壊した神戸市役所2号館」
廊下でガスコンロを炊いて少しでも暖をとって待っていると、メニコンの安永さん、アルファーコーポレーションの槙さんが、それぞれ支援物資を持って応援に来てくれました。

今電車は止まっているので、大阪方面から来る人は、阪急であれば西宮北口で止まります。JRなら芦屋です。そこから線路を伝って歩いて三宮までやってきたそうです。大変なことです。

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【2005年1月11日放映NHKより】
暗い洞窟のようなビルの中で、レンズ室を整理することから始まりました。倒れた器具や什器、備品を起こし、使えるものと使えないものとを区別していきます。

今日の課題も移転先を探すことから始まります。なかなか決定に至りません。今日はクレセントビル、今西ビル、リクルートビル、金沢ビルなどを訪ねて回りました。今西ビルは昨日下見をしたビルです。  

移転先の候補の中に、証券会社から紹介があったビルもありました。一つ一つ歩いて訪ねていって、確かめてみます。

本社が東京や大阪にあり、神戸が支店、営業所となっている企業の中に、今回震災で新たな支店、営業所を探さなければならない企業がかなり多くあるようで、大手企業を中心とした支店確保の争奪戦がひどい状況です。
すでに大手の企業が押さえているとことが多くあります。ビルの管理人の方やオーナーの方と連絡をとることも大変難しい状況にあります。電話番号を探すにしても、ご本人に面接するにしても、なかなか会えない、あるいは連絡ができないのです。

少しでも時間が経過するとビルが埋まってしまうという焦りもありました。 一軒一軒歩いていく途中にめぼしいビルがあればノートに控えて連絡をとってみる方法を考えました。今回の地震でかなりのビルが傷んでいますから、損傷があまりなくすぐに使える、そして空室というのは中々難しい条件なのです。

【1995年1月24日読売新聞より】

それから従業員の消息を尋ねてみました。 従業員の中で、男性のT君がまだ連絡が取れていません。そこで安否を確認のために歩いて訪ねていってみました。 中山手の方なので坂道を歩いて、履歴書に書いてある住所を探し歩きながら、やっと見つけました。アパートに行って訪ねてみると部屋の鍵はかかっていませんでした。ですが、あいにくとT君は留守でした。鍵がかかっていないので、ドアを押して中に入ってみました。
T君の部屋でしばらく待ってみましたが、帰ってくるのか、どこかに避難しているのか、それもわからない状態でした。しばらく待ってみても戻らないので、心配していることや連絡方法を紙に書いて置いておきました。部屋の様子だと、T君はここで生活をしていることがわかりました。

元気でいればまずは連絡をしてほしく思いました。 一人一人の従業員の安否がとても気になります。

【1995年1月24日読売新聞より】

この日から社員の中で出勤できる人が少しずつ出社を始めました。 男性の社員小川君(仮名)が今日出社していました。小川君も今回の地震で色々とダメージを受けたようで、気持ちの上でかなり落ち込んでいるように見えました。