Top阪神淡路大震災復興物語

阪神淡路大震災復興物

3.阪神淡路大震災のあと、一夜明けてみれば

「地震により大きく亀裂の入った道路」

翌日18日になると、もう会社に行く必要がなくなりました。
なぜなら、これまで経験もしたこともないような大規模な地震が神戸市地区を襲い、これまでのように仕事が出来なくなったことがだんだんとわかったからです。

自宅は戻れる状況にはありませんでした。
入り口のドアは壊れ、家の内は手がつけれないほど家具が破損し、ガラスや食器が割れ、歩くことも危険な状況でした。

自宅の周りの岡本地区、さらに南の摂津本山地区の状況を見て回りました。
予想を越える大きな被害を見て、無残な倒壊した町並みと、呆然と為す術もない人たちの様子を見るにつけ、この地震の物凄さを改めて感じました。


 

今回の建物の被害の状況を見てみると、瓦を積んだ日本式の建物は地震に弱く、潰れてしまっている家が多くみられました。

マンションの場合は、直下型の地震として、柱が折れて尻餅をついたような状態で倒壊をしているマンションが目に付きました。

生活のためには、食べ物と水がたちまち必要になってきます。一部のスーパーが店舗を開いているという情報があり、食べ物を買うために列に並びました。
災害の中にあっても、住民の皆さんは秩序を守り、列を作って抜け駆けをするような様子ではありませんでした。

店の前で待っている間にも余震が続き、地面が揺れ、ビルの間に音が共鳴しあって大きな音になり、「ゴーン・ガーン」という音が聞こえ、不安を感じざるを得ませんでした。

被災した方々が一時的に避難している場所は、公共の建物である小学校・中学校・大学などに避難していることがわかりました。
魚崎に住んでいる親戚の方が、甲南大学に避難していることがわかったので、少しですが食べ物を届けに行ってみました。

多くの方が毛布をかぶり、寒さに耐えて避難をしておられました。
親戚の方にお会いできたので、お互いに励ましあって、おむすびを渡すことが出来ました。

気になることは、従業員の皆さんの消息です。停電により、電話は使えなくなりました。携帯電話は震災の頃には普及していなかったので、相互の連絡が取れない中で、お互いの安否を確認することはとても難しいことでした。

都市生活は普段は便利に暮らすことが出来ますが、一旦電気・ガス・水道などのインフラが破壊されると、この都市から田舎へ逃げて行った方が、水や食料・暖房などの最低の生活を維持するためには良いようになります。

「マズロウの欲求五段階説」という理論があります。
一番最初の欲求段階は、生命・生活に関する欲求に始まります。この学説の通り、文化的生活から生活生命に関する欲求へと欲望は第一段階に戻ってしまいました。

子供たちとの連絡もとれないまま、今日は近隣の被害の様子と、判る限りの情報の収集に一日が終わりました。