本体工事が終わると、これからは『庭園ウシガキ』による石工事が、周辺工事と付帯工事の部分でおこなわれます。
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周辺部分にも同じように転圧をおこないます。
地面を固めてからぐり石を敷き、基礎下地を作ります。
この部分をしっかりしていなければ前方後円墳の外形に影響が出てきます。
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雨の水が地中に染み込み溜まることになれば、液状化現象が起きることもあるので、基礎部分の排水を、石工事をおこなう前にしておきます。
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前方後円墳の頂点から傾斜部分を作り、周辺に広がっていくにはあらかじめ傾斜角度を計算し、これを45度に設定しておきます。
この傾斜角がきれいに保たなければ前方後円墳の姿かたちが後世にみじめな姿を残すことになります。
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型枠を作り、ぐり石を何度も転圧をかけて固めていき、その都度地固めを隅々まで施工します。
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型枠の外側には土嚢を何重にも積み上げて、45度の傾斜が保つように維持していきます。
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勾配部分は外形表面だけでなく、内部の中間部分も45度の勾配が保たれるようにします。
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コンクリートの円形部分が出来上がると、国会議事堂にも使用された広島県産の石を亀甲模様に積み上げ、隙間隙間にコンクリートを詰めていきます。(石の積み方にもいろいろあるようです)
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石積み工事が進行する途中途中でも、45度の傾斜角が維持できているかを、分度器代わりの木組みを使ってチェックをおこないます。
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現場で亀甲形の石材をまるでジグソーパズルのように組み合わせていきます。傾斜角がつくことにより、内側部分は微調整による掘削を施していきます。
下部の部分から中段、上段へと石積みが進むにつれて、作業は石の上を板を渡して慎重に石を傷つけないように進めます。
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中段部分では水平部分を作り、二層の石段を形成して後円部分を作っていきます。上段部分の傾斜角は円形のお椀をふせたような形を作るため、丸みを演出するように工夫がなされています。
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中段部分には12本の石柱を立て、方位を表しています。本来、前方後円墳には生前に使っていた生活用品、人、馬や牛などの代わりに、埴輪として一緒に埋葬していました。十二支と埴輪の両方の意味を持たせ、外形上のアクセントとして12本の石柱を立てました。
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上段部分の石積みを終えると、天井には明かりとりとして採光用の窓を設置します。この窓の部分も円形をしています。素材は長期的に耐えられるように、飛行機の窓に使われる航空用透明プラスチックを使います。
中段部分にも細かい砕石を敷き、亀甲石とのコントラストを演出します。
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付帯工事として、アプローチに至るまでに飛び石を敷き、アクセントを付けています。
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前方後円墳の外形に沿い、幅3メートル幅の縁取りを付け、この部分にも砕石を敷き詰めていきます。
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さらに、屋敷の元々あった石組みを修理補強し、崩れた階段を直しました。石は自然石を使って、石積みをして石垣を築いていましたが、時代の経過により少しずつ隙間に草や三又の木が根を張り、だんだんと石組を壊していきます。
そこで、長年の風化を補修し新たな補強を加え、隙間に木や草が生えないように隙間をふさいでいく補修工事をしました。
崩れていた石段を再び取り付けました。石は確かに強く、石そのものは砕けることも、つぶれることもありませんでした。しかし、石と石を繋ぐ隙間が広がることによりそこに新たな勢力がはびこり、これまでの石垣の組織を壊していっています。
このことは、強い組織も内から壊れ、小さな隙間の間に補修をしておかなければ、手の付けられない破壊的状況となることを教えています。
何事にも油断、隙、小さな侵入などを見逃していると、やがて大きな石までもが崩れていくことになります。昔、武田信玄は「人は石垣、人は堀」と家臣の結束を説き、物によらないで人の気持ちで外敵を防ぐことを説きました。
いつの時代に作られたのか定かではありませんが、松葉家の祖先がこの石垣を築いた時は、きっと百代まで保つほどの丈夫な石組をしたつもりだったと思います。
平成のこの世に再び修復し、新たな建造物を築いてもいつの日かまた風雪にさらされ、地震に揺れ、草や木の種が根付き、変化がまた移ることと思います。
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かくして、平成の前方後円墳はほぼ外形が出来上がりました。
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第6話に続く…(工事中) |