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松葉博雄の社長研究室

平成の前方後円墳 松葉博雄の記念モニュメント

平成の前方後円墳 松葉博雄の記念モニュメント

 

目次


[平成の前方後円墳 松葉博雄の記念モニュメントの由来について]

文永2年(1265年)松葉家家祖 初代 松葉資宗が、死去しました。松葉資宗は、源頼朝に仕え、平家追討の際、壇ノ浦の戦功によって、安芸高屋保を賜りました。

建武3年(1336年)松葉七郎は、京都西坂本の戦いで負傷したことが記録に残っています。

松葉資宗から続く広島県賀茂郡の松葉氏は、加茂郡との地縁が始まり、平成の今日まで歴代の松葉氏は、この土地に眠っています。

この松葉氏の松葉屋敷跡石垣を活用して、松葉家の記念モニュメントを創る事にしました。

出展:「加茂郡史〜中世武士編〜 飯田米秋 著 東広島ジャーナル発行」

前方後円墳

松葉博雄の平成の前方後円墳

 

[安芸の松葉の祖先 家祖について]

   

「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見ても 梅のから花」

 「安芸の松葉氏 藤原姓松葉氏の素」
 系図集の原典である「尊卑分脈」によると、松葉氏は藤原氏の太祖、大織冠藤原鎌足より始まる。
淡海公不比等、参議房前、大納言眞楯、内大臣内麿、左大臣冬嗣、太政大臣良房、利世、中納言共良、内蔵頭良春、遠江守、備中守共資、共保、共宗を経て、松葉氏の家祖、資宗となる。

 資宗は、松葉遠江次郎と称していた。「東鑑(あずまかがみ)」に松葉次郎について、尾張国の御家人にて、文永2年(1265年)97才にて没する。父の宗益(松葉入道と称する)と共に源氏に属して軍功あり、出羽の平鹿郡、安芸の高屋保などに所領を有するという記述があり、この松葉次郎が資宗と見られ、松葉氏の家祖と見られている。

 平賀氏の開祖、松葉資宗が壇ノ浦で平家の赤旗を射切り、その功績で文永元年(1185)後鳥羽院より、御歌「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見ても 梅のから花」を賜った(写真 左)。この時から唐家紋が平賀氏の家紋となった(写真 中央)。  資宗の子息は出羽に転じて平鹿郡の地頭となり、その後安芸に移り、「平鹿」が「平賀氏」と称することになった。この平賀氏から松葉氏が生ずる事となった(写真 右の系図)。



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