シーミー(清明祭)は、いつものように4月第2週の日曜日に行われました。 第107回沖縄訪問(10)

シーミー(清明祭)は、いつものように4月第2週の日曜日に行われました。沖縄の一族の結束は、祖先礼拝にあります。シーミー(清明祭)は、毎年4月(旧暦・シーミー)には、門中が集まり、祖先を祀るお墓の前で一族の皆さんがお弁当を持ち寄って、シーミー(清明祭)で、一族の繁栄をお祈りします その10】

シーミー(清明祭)の日です。

快晴です。昨夜、深酒をしたせいで、かなり遅く起きました。

前兼久の海一面を見渡して、今日の予定を考えます。

シーミー(清明祭)

松葉博雄が寝ている間に、すでに金城正則さんは、

朝早くから船を出して、マグロを釣ってきて、

それで刺身を作っているということですから、

松葉博雄ののんびりしたリズムとは随分違います。

ホテルにて

早速、行ってみます。起きて間もない頃、

金城正則さんから「釣に行って、マグロが釣れたので、

今、朝日会のテントで刺身をしているから、

食べに来ませんか?」というお誘いがありました。

驚きました。

朝日会

松葉博雄が朝日会のテントに着いた時には、

マグロはすでに刺身になっています。

8匹ほどのマグロが釣れていますが、

だいたい同じサイズのマグロです。

勝田亘さんも、お誘いを受けて朝日会に来ていました。

朝日会

今日は、シーミー祭(清明祭)がある日で、

これから金城家の門中のお墓にお詣りすることになります。

金城正則さんに着いて、金城家に戻ります。

金城家


国道58号線の裏に、前兼久の開拓をした人たちの土地があります。

金城家の裏の庭には、マンゴーの木がありましたが、

今年はテントを上に張って、雨が掛からないようにした

マンゴーを育てる気になっています。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)では、それぞれの門中に行って、

今日は皆さん、親戚が集まって、

お弁当やお酒を奉納して、一緒にお墓の前で宴をします。

シーミー(清明祭)

写真がやや青くなっているのは、

日よけ用のブルーシートでお墓の全体を覆っているので、

光が青く見えるのです。

シーミー(清明祭)

1組の夫婦をもとに、子供、孫、ひ孫の代まで、

男系でお墓を守っていくと、2009年現在では、

相当たくさんのファミリーになっています。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)では、各自の家から、手作りの御料理が集まります。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)の、門中というのは、

同じ祖先を祀る一族で、その中心は、長男の役割になります。

シーミー(清明祭)

しかし、実際にシーミー(清明祭)のように、

行事の中心になってお世話をするのは、それぞれの主婦たちです。

シーミー(清明祭)

今日持ち寄っているたくさんのご馳走は、

金城家の主婦の皆さんが、それぞれ自分の得意料理や、

普段よく作る料理を持ち寄っています。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)に、松葉博雄も神戸から、お供えを持ってきました。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)では、

まず、ご先祖様の眠っているお墓の広場にみんなが手を合わせ、

祖先に礼拝をして、持ち寄ったお料理を供養に捧げます。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)の、金城家の門中の当主は、金城正浩さんです

シーミー(清明祭)

一族を代表して、感謝のお祈りをして、

紙に印刷した模造紙幣を焼いて、

あの世にもお金を送ります。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)のお祈りが終わると、

十分に祖先供養が行われると、

参加者にご馳走が回ってきます。

シーミー(清明祭)

若手の青年たちが、墓の外に待機して、

ビール、泡盛、ウイスキーやソフトドリンクを冷やして、

テントの中にいる人に随時サービスをしてまわっています。

シーミー(清明祭)

シーミー(清明祭)では、松葉博雄は門中ではないので、

少し遠慮して、内地の言葉で話していますが、

沖縄の恩納村の方言が入ってくると、

もう何を話しているのか分かりません。

シーミー(清明祭)


シーミー(清明祭)の
当主の金城正浩さんはご機嫌です。

松葉博雄も金城家の門中に入れてもらって、

皆さんからビールを勧められ、

すっかり顔馴染みになった人達と、

あれやこれやと世間話に参加しています。

2009年4月12日(日)

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