沖縄 八重瀬町八重瀬の海砂、国場組 に採りつくされ 悔やんでも悔やみきれない結果に

八重瀬町八重瀬の海砂は、コンクリートに混ぜるため、国場組に持って行かれてしまいました。今では、悔やんでも悔やみきれない大切な物を無くしたそうです。八重瀬町八重瀬の海砂 八重瀬町湊川で、2万2千年前の湊川人の人骨が発見されています。第162回沖縄訪問(12)

八重瀬町八重瀬の海砂

湊川漁港の中にある食堂を探して、見つけました。

その名は、南国食堂です。

お店の中に入っても、

南国をイメージさせる飾り付けは、一切ありません。

南国食堂に来た理由は、

お昼は魚を食べたくなったからです。

魚屋さんを探しに湊川漁港に来て、

漁港の魚屋さんにこの辺りで

魚料理を食べさせてくれるお店はないですか?

と尋ねると、この近くの南国食堂を紹介してくれました。

南国食堂でイカちゃんぷるをいただきました。750円です。

お客さんの意見では、ここではこれが一番美味しいそうです。

食べてみると確かに美味しかったです。

この辺りのガイドブックを見ると、

湊川では、22,000年前の湊川人が有名です。

内地の縄文式時代より、

もっと前に沖縄では湊川人が生活をしていたようです。

湊川人の発見は、町内の採石場から人骨が発見され、

現在では5人~9人の人骨が発見されています。

湊川人の特長は、伸長は150cm前後と小柄で、

肩幅は華奢ですが、足腰はしっかりしています。

彫りが深くて鼻が高い顔立ちです。

(八重町観光ガイドブック参照)

湊川人は、どこから来て、

その後どこへ渡ったのかはまだ謎に包まれています。

八重瀬の浜辺

八重瀬の浜辺を見に行きたくなり、湊川漁港から、

少し離れた場所に車で移動します。

浜辺は近くにありました。

この後は浜辺に下りてみました。

八重瀬町八重瀬の海砂は国場組が

丁度土地の方がいたので、

お話しを聞かせてもらいました。

古老の方のお話しでは、

この辺りの浜辺は昔は砂山だったそうで。

50年程前ここに國場組がやってきて、

地元の人達にトラックに砂を入れる仕事を依頼しました。

地元の人達は、当面の仕事が出来たので、

砂を國場組に無料で譲ることに反対はありませんでした。

国場組は、タダで天然資源である

浜辺の砂を持ち去ったとの事でした。

その当時は、自然を守るという意識は

まだ希薄だったのでしょうか?

砂の採取はずっと続き、

砂山だったこの浜辺の砂は無くなってしまいました。

この砂は、コンクリートを作るために使われています。

海砂を使うと、コンクリートの鉄筋は

錆びてきて長持ちしないそうですが、

そんなことは当時は構わず、

鉄筋コンクリートに海砂を使ったそうです。

何年も浜辺の砂採集が続き、

背の高さよりももっと高かった

砂山はすっかり消えてしまいました。

岩場には、砂山であった頃の名残の跡が残っていました。

数メートルに及ぶ高さでした。

広い浜辺の砂は、その面影もないほど、

岩だらけの浜になったそうです。

今となっては、取り返しの付かないことをしたと

住民は嘆いているそうです。

これは偶然浜辺に居合わせた、

地元のご年配の方から私が直接聞いた話しです。

もし八重瀬浜の砂が残っていたら、

宮古島にある名所、

砂山ビーチに匹敵するビーチになっています。

きっと八重瀬ビーチとして、

沢山の人が集まってきていると思います。

土地の人が言うように、勿体ない事をしたと思います。

下の写真は、宮古島に行ったとき訪れた砂山ビーチの写真です。

このくらい沢山の砂がトラックで運び出されたことになります。

國場組の砂採集の話しを思い返してみると、

問題は、目先のことが大事なのか、

それとも将来を考える方が大事なのか、

考えさせられる問題です。

逆に言うと、浜辺の砂をトラックに乗せる仕事欲しさに、

ただで浜辺の砂を全部取り去ることを黙認すれば、

こんなことをすれば将来良くないことがわかっていても、

目先の砂採集の手間賃の賃金に

目がくらんでしまったということです。

八重瀬町に戦争の傷跡が残っていました。

八重瀬町の富盛地区は世帯数615、人口1622人です。

ここから史跡人工岩でできた獅子を見に行きます。

勢理城(じりぐすく)です。

沖縄の漢字の読み方には独特の読み方があります。

勢理と書いて、じりと読みます。

以前、伊是名島に行った時も、勢理客と書いて、じっちゃくと読みました。

ここに太平洋戦争の時に受けた

銃弾のあとが残っている獅子が祀られています。

昔から村の守り神です。

近くで獅子を見てみると、獅子の体には、

いくつもの砲弾の痕が残っていました。

ここは終戦間近の最後の沖縄戦で戦場になった地域なので、

沢山の砲弾の痕が残っているようです。

石だから砲弾も痕跡で済んでいますが、

これが人間であれば、身体は飛ばされています。

この傷跡を見れば、

沖縄戦のむごたらしさが伝わってきます。

勢理城からは、八重瀬町の町が一望できます。

近くには、ガジュマルの昔からの古い大木が生い茂っています。

八重瀬町は、昔、ガジュマルの森だったようです。

今ではガジュマルの木は少なくなりました。

竹箒が置いてあったので、すこしばかり枯れ葉を掃除して、

広場を綺麗にする作業をしてきました。

横から見ても、獅子の身体には、銃弾の痕跡が残っています。

何カ所有るのか分からないほど沢山の銃弾の痕跡です。

ユリが咲いて綺麗です。

次は具志頭に行きます。新しく出来た道の駅です。

ここで地図をもらいます。八重瀬町の観光拠点施設です。

新しい綺麗なお店ですが、商品は珍しい物は見つかりませんでした。

まだ観光客が少ないので、出品数が少ないのでしょう。

お客さんが先か、出品が先かのジレンマです。

ここで、いかの羽 いちゃいちゃを買ってみました。

とても美味しかったです。

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2017年6月15日(木)


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