百名伽藍で渕辺俊一会長さんとお会いしました。

渕辺俊一さんは、沖縄の文化を大切にしています。ガジュマルの大木も、沖縄の文部を伝える為か、残されています。 第158回沖縄訪問(23)社長ブログ沖縄/百名伽藍/施設内見学

百名伽藍の客室と、天空の湯の視察を終えて、次は、社員の皆さんが協力しあって書いた書画を陳列しているギャラリーに案内されました。

ギャラリーに向かう廊下を歩いている時、百名伽藍のオーナー、渕辺俊一さんとお会いしました。

渕辺俊一さんは、平成5年の創業以来一貫して「沖縄文化を広く深く正しく全世界に発信しよう。」を合い言葉に、食を中心とした事業を展開してきました。

会社の名前は、JCCで、渕辺俊一さんは会長です。

渕辺俊一さんに沖縄文化についてお聞きしたい事は沢山ありますが、今の私では、渕辺俊一会長に沖縄文化の議論をするほどの知識がありません。

百名伽藍のギャラリーには、社員の皆さんが描いた、沖縄の歴史に登場する、重要な人物の絵が掲げられています。

尚泰王は、琉球国王として、最後の国王でした。

この方は、絵でなくて、写真で紹介されています。

琉球王国の時代は、琉球は日本と中国の間に位置して、一方では中国に朝貢し、他方では薩摩藩を介して、江戸幕府に忠誠を誓っていました。

誰が国王になっても、琉球を独立国家として統治していくには、難しい環境の時代がありました。

武器は取り上げられ、その結果、身近な道具で戦う武術や、素手で戦う空手も、発達しました。

日本と中国の両方へ使者を送る事で、日本と中国の文化が琉球に入ってきています。

百名伽藍の大広間は畳敷きで、ここでは座禅の業を行う事ができます。

白隠の間と、名付けられた源の、白隠和尚の白隠禅師座禅和讃が掲示されています。

白隠和尚は、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまで言われた優れた禅宗の和尚さんでした。

読んでみるともっともな事ですが、少し違うなぁと思ったのは、仏教の大元であるインドのブッダの考えと少し離れていることです。

ブッダは、自分自身を修業するように、自己の完成を悟りによって得るように教えました。

この大広間には、座禅を組む人が、定期的に集合するようです。

ブッダの言葉で、好きな言葉があります。

「身と言葉と行いで、悪い事をしなければ、世の中の生き物を悩ます事はないだろう

正しく念じて、欲望の対象が、空しいことを知れば、苦しみは遠ざかるに違いない。」

百名伽藍の中庭には、大きなガジュマルの木が残っています。

元々あったガジュマルを伐採しないで残して、中庭としてガジュマルを生かす設計にしています。

大きなガジュマルの木には、ガジュマルの命が宿っています。

このガジュマルをホテルを建てる為に伐採して、敷地を広くする事も可能でしたが、ここでガジュマルを生かして、中庭に取り込むという判断は、ブッダの言った、人がガジュマルの木を切るという行いで、悪い事をしなかったので、ガジュマルの木は悩むことがありませんでした。

この判断は、ガジュマルの命を助けたことになります。

助けられたガジュマルは、百名伽藍で働く人達や、訪れるお客様に、命の恩返しをしているように思います。

ガジュマルの木を残した事は、とても良い判断だったと思います。

沖縄は、太平洋戦争で戦場となり、多くのガジュマルの木は燃えています。

そして、戦後復興の時代には、建築の邪魔になると、伐採されています。

今残っているガジュマルの大木は、ほんの僅かです。百名伽藍には、良いガジュマルが残りました。

2016年4月21日(木)


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