日本の道です。日本の道100選に選ばれた道です。

日本の道です。日本中に道があっても、日本の道に選ばれるのは、104の道です。第134回沖縄訪問(6)

日本の道です。国土交通省と道の日実行委員会に制定された日本の道で、日本の特色ある優れた道路が選ばれます。

あやーで沖縄蕎麦を食べて首里城の方へ行きます。普通のお城巡りではあまりにも観光客なので、もう少しストーリーのある散策にしたいなぁと片山正喜さんと相談し、それなら日本の道の古い道、石畳の道を探して歩こうよと相談が決まりました。

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片山正喜さんの愛犬リー君も一緒です。まずは石畳の道の方を歩いてみることにします。興善寺禅堂のこの角を曲がると、昔の石畳が残っています。ここに日本の道があります。

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ここは日本の道100選に選ばれている古い道です。ここも空襲にあったんだと思いますが、石なので焼けてはいません。

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細い道が続いています。ガジュマロの根が石垣に絡みついているところがありました。首里の街は至る所が坂だらけで、雨が降った後だと滑って危ないなと思います。足腰が弱いと危険です。

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一般の民家も崖っぷちに建っています。時代を返して、琉球の時代ならこの辺りは首里の城下町です。きっと、上級のサムレーが住んでいた当時の高級住宅街です。

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途中に「石畳茶屋 真珠」という喫茶店がありました。中々いい店で、テラスからは向こうの方に那覇の街が見えます。

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きっと中国からの冊封使も、首里の高台から東シナ海を眺めて、沖縄も広いなぁと思っていたと思います。

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古い道は、坂が続き、坂があれば壁があり、壁にはガジュマロの木の根が張り付いています。

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中々落ち着いたいい感じです。大和で言えば城下町の武家屋敷です。

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王朝時代は中国から入ってくる船は泊港に到着し、泊港からこの首里の街まで道が1本線で続いていたようです。なかなかいい道です。

琉球は、一方で大和の薩摩藩の支配を受け、他方では中国の冊封を受けて、2つの支配のバランスをいつも気にして、どちらの船が泊港に来ても愛想良くもてなす苦しい立場でした。与並岳生の「南獄記」では、この辺りの苦しい政治判断を描いています。

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見方を変えて、坂道が続く丘と考えてみれば、神戸の街にもよく似ています。神戸の北野町の異人館通りは、港が見える高台にあり、急な斜面やなだらかな斜面を登り詰めて異人館が建っていました。

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日本の道に選ばれたこの石畳の道はすべて坂です。平地の部分はなく石段でした。ずっと下っていくと売り物件の土地がありました。見晴らしもよく広い敷地です。

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次にもう一歩進んで行くと、金城村と書いて「かなぐすくむら」です。

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この辺りは沖縄のサムレーの子孫たちの学校があったようです。県指定の名勝の石垣がずっと残っています。

沖縄で見事な石垣の積み方は、あちらこちらで見て来ました。隙間なくキレイに積み上げた石垣を築いているのは、地方の豪族や豪商です。

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例えば、伊是名島の石垣は、尚王朝を起こした金丸一族に繋がる屋敷とか、浜比嘉島の豪商吉本家の石垣などが思い浮かびます。

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日本の道を彩るのは、民家に植えられた花です。変わったハイビスカスで八重咲きのように咲いていました。地籍調査をやったのか、あちらこちらに境界線の鋲が打たれています。

2011年12月29日(木)

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