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隠岐・大山国立公園旅行記 その5『隠岐の歴史に思いを馳せる』


お昼ごはんの後は、お店のおばさんにお礼を言って、また車に乗りました。

次に目指したのは、観光マップに掲載されていた古代杉です。

樹齢800年といわれる杉は、四方から柱で支えられながら、今も生き続けています。


杉は神社の境内にあり、神社は玉若酢命神社でした。

この神社の神様は、隠岐の島の氏神様ということで、その格式は高く、歴史も古く、思わず頭を下げて帰ってきました。

古代杉は天然記念物に指定されています。土地の人の話では、隠岐の島には古くからたくさんの杉の巨木があったようですが、伐採、乱伐が進み、今では巨木は数えるほどの数になったそうで、残念です。

そういえば、屋久島でも江戸時代に、江戸の街を作る屋根の板に使われるために、どんどん伐採したことを思い出しました。



次に訪れたのは、後醍醐天皇が島に流された時に暮らしたと言われる御所を見ました。国分寺です。

御所は国分寺を利用して造営されていました。後醍醐天皇が島に流され、暮らした期間は1年もなかったようで、すぐに島から脱出されたことが、案内図に記載されていました。


国分寺のお寺の一部を、後醍醐天皇の御所としたようで、それほど広いお部屋ではありませんでした。

天井には風神雷神がありました。風神雷神図は、尾形光琳が描いた図が有名ですが、隠岐の島にも立派な風神雷神図が天井に描かれているのには、驚きました。


楠正成が後醍醐天皇に尽くしたことに対する絵がありました。

それから島を脱出する時に、土地の漁師に頼んで船を用意してもらう時の様子を、後醍醐天皇の物語として描かれていました。

もともとの聖武天皇の頃の国分寺の跡は、礎石で残っています。



国分寺のすぐ隣には、立派な闘牛場がありました。

ここは屋根があり、天気に影響されない常設牛突き場です。

相撲のように、東と西に入口が分かれ、牛の待機する支度部屋も、西と東にありました。

何百人もの観衆の大声援が耳にわいてくるような夢想をし、しばし闘牛場を見つめていました。それは、沖縄の名護で見た常設闘牛場とよく造りが似ていたからです。

名護の闘牛は、家族で訪れ、闘牛に熱中する興奮を味わったことがあります。


次は、「かぶら杉」です。

隠岐の島には、屋久島と同じ様に古い杉がたくさんあります。今残っている杉は、これからは大切に保存して、特別天然記念物として保護をしています。


かぶら杉の名前の由来は、一つの枝から何本も枝が分かれた杉だからです。

歴史のことに、「もし」や「たら」を言っても仕方がないことですが、もし隠岐の島の古代杉を切っていなかったら、もっともっと島の観光資源はあたのにと、残念に思いました。



さて、夕方も近づいて、今日の宿です。今夜の宿は島の一番繁華街にある港に近い西郷地区にある、民宿「笹西屋」です。

町の路地の中にあり、民家を改造した民宿でした。ここの2階に部屋があり、食事は1階の台所の隣の部屋でいただくようでした。

夕食までの間、少し散歩をしてみました。

港にはイカ釣り船が出港の準備をしています。イカ釣り船は、イカを集めるために船いっぱいに明かりを点けます。

この明かりは、重油から発電されます。つまり、イカ釣り船は重油を大量消費する図式になっています。

それが原油価格が1バーレル80ドルにまで高騰すれば、油代は漁業経営を圧迫し、少々イカが獲れても、収益にはつながりません。

さらに漁業は、たくさん獲れると大漁貧乏になり、港での買い取り価格は下がってしまいます。

油の高騰は、今、日本中、世界中の脅威でもあります。


さてお楽しみの今夜の民宿の食事です。

漁師の経営する民宿ではないので、昨夜と同じように買ってきた材料による晩御飯のようでした。

メインディッシュは、サザエご飯とマツタケのお吸い物でした。

隠岐の島では、サザエ1キロ1000円ぐらいです。1個が100円ぐらいの見当です。お椀には1個分くらいのサザエが使われていると思います。

他にお客さんもいなくて、寂しい静かな晩御飯でした。ご飯を食べると、外に出るところもなく、長い夜をどうしようかと思いました。

結局、一杯飲んで寝ることになりました。今夜考えたことは、ほぼ島は一周したので、この島を早朝に発つことに決めました。