松葉研究

松葉 松葉研究 松葉家 ルーツ 松葉の歴史 松葉家の由来 松葉の屋号 松葉の地名

【目次】
研究の沿革
全国の松葉氏(全国松葉マップ)
情報交換掲示板

一族 一族

『松葉研究会』のご案内 沖縄県久米島の重要文化財「五枝の松」

全国の「松葉」姓の皆様、および「松葉さん」をご存知の方、ご自分の縁につながる方などの「松葉」研究に繋がる情報提供をお願い申し上げます。

我が研究室では、経営学とマーケティング研究だけでなく「松葉」の研究もいたしています。
「私」はどこから生まれて来たのか、ふと疑問に思うことがありました。
その事が気になると段々と疑問が膨らみ研究をしてみることに成りました。

勿論「私」がどこから来たのかと言う問題は松葉だけの問題では有りません。 この事は人類全体に拘わる疑問であり、更に人類はどこへ行こうとしているのか、と言う「未来」に向けての疑問でもあります。 しかしながら、我が研究室では人類全体の疑問に対する解答は出来かねますので取り敢えずは「松葉のルーツ」位から研究に取り掛かりたいと考えています。 このような研究動機により全国の「松葉姓」の皆さん、そして「松葉」にご縁を持つ皆様方からの情報をお待ちいたしています。

「松葉さん」ご自身、あるいは「松葉さん」をご存知の方、ご自分の縁につながるような松葉姓のルーツの付いてご存知の事があればご連絡下さいませんでしょうか。
松葉研究 松葉家 ルーツ 松葉の歴史 松葉家の由来 松葉の屋号 松葉の地名について何か情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、情報の相互交換をお願い申し上げます。

※ 「情報交換掲示板」は こちら

前方後円墳 松葉博雄の記念モニュメント

【目次】

前方後円墳 松葉博雄の記念モニュメントの由来
松葉の祖先 家祖について

「前方後円墳の構想」 第1話
「前方後円墳の設計・整地」 第2話
「前方後円墳の墨だしから配筋、コンクリート打ちまで」 第3話
「前方後円墳の防水と埋戻し工事」 第4話
「前方後円墳の外装石材工事」 第5話

前方後円墳のメンテナンス2005年夏
前方後円墳のメンテナンス2007年夏
前方後円墳のメンテナンス2011年 春

[前方後円墳 松葉博雄の記念モニュメントの由来について]

文永2年(1265年)松葉家家祖 初代 松葉資宗が、死去しました。松葉資宗は、源頼朝に仕え、平家追討の際、壇ノ浦の戦功によって、安芸高屋保を賜りました。

建武3年(1336年)松葉七郎は、京都西坂本の戦いで負傷したことが記録に残っています。

松葉資宗から続く広島県賀茂郡の松葉氏は、加茂郡との地縁が始まり、平成の今日まで歴代の松葉氏は、この土地に眠っています。

この松葉氏の松葉屋敷跡石垣を活用して、松葉家の記念モニュメントを創る事にしました。

出展:「加茂郡史~中世武士編~ 飯田米秋 著 東広島ジャーナル発行」

前方後円墳

松葉博雄の平成の前方後円墳

[松葉家の歴史 安芸の松葉の祖先 家祖について]

「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見ても 梅のから花」

「松葉家の歴史 安芸の松葉氏 藤原姓松葉氏の素」
系図集の原典である「尊卑分脈」によると、松葉氏は藤原氏の太祖、大織冠藤原鎌足より始まる。
淡海公不比等、参議房前、大納言眞楯、内大臣内麿、左大臣冬嗣、太政大臣良房、利世、中納言共良、内蔵頭良春、遠江守、備中守共資、共保、共宗を経て、松 葉氏の家祖、資宗となる。

資宗は、松葉遠江次郎と称していた。「東鑑(あずまかがみ)」に松葉次郎について、尾張国の御家人にて、文永2年(1265年)97才にて没する。父の 宗益(松葉入道と称する)と共に源氏に属して軍功あり、出羽の平鹿郡、安芸の高屋保などに所領を有するという記述があり、この松葉次郎が資宗と見られ、松 葉氏の家祖と見られている。

平賀氏の開祖、松葉資宗が壇ノ浦で平家の赤旗を射切り、その功績で文永元年(1185)後鳥羽院より、御歌「出つ羽なる 平賀の庄に 咲花は 幾たび見 ても 梅のから花」を賜った(写真 左)。この時から唐家紋が平賀氏の家紋となった(写真 中央)。  資宗の子息は出羽に転じて平鹿郡の地頭となり、その後安芸に移り、「平鹿」が「平賀氏」と称することになった。この平賀氏から松葉氏が生ずる事となった (写真右の系図)。