松葉博雄の社長研究室
さんプラザコンタクトレンズの従業員
蟹(カニ)ツアー:丹後・夕日ヶ浦温泉「海花亭」 その5〜豊岡市出石町の出石城と出石そば、出石そばまんじゅう〜
次に訪れるのは、出石町です。出石町は2005年4月に近隣の豊岡市や日高町、城崎町などと合併し、豊岡市出石町となっています。
バスから降りると、旗を持った地元のガイドさんに案内されて、言われるまま、ついて行きました。
着いたお店は、松福堂本舗という出石でも老舗のお店のようです。この松福堂では、そばまんじゅうを売っていて、私たちにもサンプルとして、そばまんじゅうの1/4を味見させてくれました。
松葉博雄は、ほぼ35年ほど、おまんじゅうというものを避けて食べていません。出石町でもこのおきてを守り、そばまんじゅうを見るだけにしました。
さんプラザコンタクトレンズのスタッフは、薦められるまま、そばまんじゅうを食べているものの、誰も買った様子はありません。それは、社長の松葉博雄がすぐに店を出たので、ついてきたためです。
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一応、自由行動なので、バスのガイドさんの案内はありません。こんな時は勘で観光スポットを探すことになります。 だいたい雰囲気でわかります。矢印が書いてあるとか、団体の旅行客が行く方向について行けば、いいのです。 |
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ありました、ありました。
出石城の案内が矢印になって、そっちの方向に行けばよいことがわかりました。
城下町には、お寺がつきもので、だいたいどこの城下町にもお寺があちらこちらに点在します。
白壁の塀を伝って、さらに矢印の方向に進むと、出石城が見えました。出石城は、出石藩のお城です。ここのお殿様は江戸時代には、小出さん、松平さん、仙石さんと御家が変わりました。
ピークのときは5万3千石でしたが、仙石さんのときには、3万石になっています。
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お城の前で、まず全員の集合写真を撮りました。
写真を撮った後は、出石城に登城する太鼓橋を渡り、大手門を通って、櫓が見える石垣に上りました。
ここから見える出石城下町は、丹波篠山の篠山城の景色に良く似ています。
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もみじが紅葉し、お城に紅がさしたようにきれいに彩を添えています。
各地のお城を見て周り、当然ながら共通項がたくさんあります。

お堀があり、敵の来襲を防ぐ目的で石垣を積み、石垣の先は武者返しになっています。
敵の武将が石垣に登ってきて、もう少しで登りつめる頃は、反り返っていて、なかなか上には上がれないような石の積み方をしています。
石垣の石を見ると、ところどころ誰が提供した石なのかを小さな印を入れて刻んであることがわかります。
石積みの隙間の様子を見ると、このお城がにわか作りなのか、じっくり時間をかけて作った作品なのかがわかります。
今は、姉歯建築士の事件で、鉄筋コンクリートを節約する方法で工事の総工費を節約する方法が事件になっていますが、石垣の石を積み上げるときにも、手抜きをすると後の時代に隙間が出てくることになります。
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出石城の外郭は、それほど大きくなく、犬の散歩にちょうどいい加減の距離でした。これが江戸城や大阪城のような巨大な城だと、中で篭城ができるほどの広さがあり、何百人も、あるいは千人を超える篭城兵士を数ヶ月養うことができるほどの食料の備蓄もあります。
こうして見ると、出石城は篭城はそれほど長くは出来ないように見えます。背後にはすぐ山が迫っていて、あの山から攻められると、守るのが難しいように思います。
さらに勉強してみないと、出石城の城としての役割が何であったかが、わかりません。きっと、この地域の事情を踏まえて築かれたはずです。すぐ近くには丹波篠山の名城があるので、西からの西国大名からの守りにしては、やや規模が小さいように思いました。
一応、ぐるりとお城を回った後は、出石そばということになるのですが、それほどお腹も空いていなく、バスの中には帰りの道中に食べるお寿司も用意できているので、グルッと周って見るだけになりました。
静かな城下町の落ち着いた雰囲気をつかの間味わうことができました。











