気になる人や、探している会社はその後、どのようになっているのか大変気にかかる状況でした。このような情報が少ないとき、紙に書いて人が集まる所に掲示をしてかすかな期待で読んでもらうという方法は、今回のスマトラ沖地震・津波災害の場合も実際に各地で掲示されている様子が報道されました。携帯電話はいつかは電池が切れ、水をかぶったり落としたりすると使えなくなります。そうなると、時間と距離と場所を繋ぐデジタル文化は成立しなくなります。物的な物に書いて、狭い地域に相手に直接読んでもらう方法が今でも復活しています。
1995年当時は通信がズタズタに寸断されていた上に、今のように携帯電話やインターネットが普及していたわけではありませんでした。
情報は、自分の足を動かして発信するしかありませんでした。三宮駅前の横断歩道の信号機や、大きな筋や通りの電柱など、お客様の目に入りそうなところをめぼしを付けて、なんとか私たちが元気で営業を再開したことを知って欲しくて、何枚も何枚も手分けして張って歩きました。従業員の通勤途中、取引先の担当者が訪問してくる道すがら、自分自身が出かけて交通の要所要所に掲示して回りました。全て手書きで書いて、そして透明ビニールテープを使い、電信柱や掲示可能な場所を探して歩きました。これが意外に効果を発揮し、さんプラザコンタクトレンズと松葉眼科がどこにいったのか、探していた方の目に止まり、新しい移転先へわざわざ訪ねてきてくれた動機となりました。