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阪神淡路大震災復興奮闘物語

「倒壊し道をふさぐビルの壁」

【9.阪神淡路大震災後7日目 Part2:空き店舗探し】



1995年1月23日(月)

 さんプラザビルが使えないので、代わりの店舗を探すことから復興を始めなければなりませんでした。

 取引先銀行の支店長とか、今までお世話になった取引先および不動産関係の方へできるだけ電話で連絡を取って、空き店舗がないか尋ねてみました。なかなか、これがいいというような物件にはあたりません。

 取引先のレンズメーカー各社にも、どこか適切な店舗がないかを見つけていただくよう依頼しました。一つ有力な情報を得たので、そこには、明日行ってみることにしました。


  三宮と元町界隈の目ぼしいビルを見て回りました。

 危険な状態で立ち入りが制限されているビルが多くあります。この三宮の場所に新たな店舗を見つけることは、平穏な状況であればともかく、混乱した市場の中では、再建が始まれば健全なビルの空き室の争奪戦が始まることは想像がつきます。そのためにも富士銀行にも寄って、支店長に相談もしてみましたが、今は銀行にとっても自社の取引先、従業員の仕事への秩序の回復に奔走中で、とても一企業の復興の相談に時間を割くことができる状態ではないようでした。

 まぁ、生きているだけお互いによかったということになります。


 このように移転先を探しているなかで、メーカーの方から紹介を受けた物件がありました。市役所の近くにある今西ビルというビルでした。伊藤町という地名です。市役所よりやや南側になります。そこに行ってみました。

 隣には商工中金ビルがありました。建設してまだ誰も入居したことがないという3F部分に空き部屋がありました。今回の震災に対しても、比較的新しかったので、耐震構造が応用されたのかキズがありませんでした。

 市役所からは近いものの、三宮駅からはかなり離れています。ここまでお客様は歩いて来てくれるだろうかという心配がありました。

 しかし贅沢は言っていられません。少しでも三宮に近いところで空き部屋が見つかっただけでもラッキーだと思わないといけないような状況です。


 3F部分は全フロアで70坪ほどありました。このぐらいの広さがあれば、眼科とコンタクトレンズが一つの場所に入れると思いました。

 借りる条件は、たとえ仮設であろうとも、10年居ようとも、同じ敷金が要ります。

 そしてもし出て行く時には敷引き制度というものがあります。およそ30%は敷引きで減額されて返ってくることになります。しかも、出て行くときには少なくとも6ヶ月前には通告しなければいけないことになっています。もしもっといい場所があった時には、空家賃を払ってでも出ていくことになると思うと、少し考えさせられます。ここで、どうしようか借りようか、もっと別の良い所を借りようか、と思わず迷ってしまいます。

 これがトランプやカードのゲームなら、流した方がいいか、こちらを引いた方がいいか、ということになります。ビジネスは一つ一つの局面で結果的にはどうなるかわからない意思決定を繰り返していきます。これはまるでトランプやゲームをしていることと同じですが、しかし結果は自分が負わなければいけません。その金額はリスクに対して成果があるかもわからないものの、とても大きなリスクを払うことになります。


 一日、ビルの店舗を捜し歩いて、足が棒のようになりました。当てのない探し物をしているようで、外目から見た頑丈なビルも、たずねてみれば中は使えない、というビルがたくさんありました。

 さて、これからどのように仮店舗を確保していくか、大きな課題を抱えたまま、今日も一日が終わりました。