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【被災地を走行中】
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湯の郷で再建をどのようにするかと考えているときに、やはりここにいては状況がわからない、という反省から、家族を湯の郷に置いたまま、一度神戸の三宮に情報と貴重品を取りに行くことにしました。
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学生の甥を連れて二人で湯郷から神戸へ車で行くことにしました。少しずつ救援活動が動き始め、高速道路を走る車も今日は多く感じました。神戸を避けて舞鶴道から北に上がり、京都経由をすれば大阪に物資が届くルートができています。阪神高速道路は橋げたが倒壊し、かなり長期間に渡り復旧が見込めない今では、西から東へと物資が移動する陸路では神戸地区は丹後、丹波にある無傷の道路網が頼りになっています。
私と甥の二人は、一旦神戸三田インターの手前である吉川で降りて、国道をゆっくり走り抜けて神戸に入り、途中多くの車と接触寸前のぎりぎりで三宮にたどり着きました。途中で見た景色は、普段と変わらない田園の風景が続きましたけれど、普段と違うことは真っ赤な外装をした消防車がうようよしていることと、普段はまず見られない自衛隊の車でした。
【2005年1月10日放映 読売テレビより】
公共と自衛隊の二つの違いは、秩序があるかないか、秩序を作る指揮系統があるかないかが大きく違っていました。消防車や救急車は公共団体がボランティア活動の一環として、各地域から派遣された方々です。予め全体的な行動予定を示して、「どこどこ地区の車はどの地域に行くべし」といった指揮を受けていないようでした。車を止めてはどこへ行こうか相談をしながら、神戸の方向に進んでいるようでした。地理の案内もなく、どこに行ってよいのか、誰が救助を求めているのか分からない状態で、とにかく神戸へ神戸へと進んでいるように見えます。
一方、自衛隊は秩序を維持し、指揮系統に従い、無線を常に携帯し、ジープに乗った先遣隊は前方の様子を探りながら後方の部隊に連絡を取り合い、一つの指揮系統の元に動いていることが分かります。キャタピラーをつけた戦闘車は当然ありませんが、普段見ることのない自衛隊仕様のトラック、バス、ジープ、給水車、援助物資を積んだ運搬用トラックなどと神戸に近づくほどたくさんの車と出あいました。
まさに危機管理とはこのような状況であると思います。ほとんど戦時体制を想像するような部隊の移動でした。
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風評では、貴金属や金目の物がありそうな罹災した無人のビルに忍び込み、窃盗を働く一味がいるという噂がありました。
震災のどさくさに紛れて、火事場泥棒のようなことが起きているという噂を聞けば、これを保全するために多少の危険も省みず、罹災したビルの現場に戻ってみることを決意しました。
だけど、本当はおっかなびっくりで、もし怖そうな人や刃物がちらついたらすぐに逃げることにしていました。
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【三宮日本生命ビル】
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交通センターの近くの大平閣の横にある一般通用門からさんプラザビルに入っていきました。ビルの出入り口には黄色と黒のロープが張られ、無断で用のない人がビルの中に出入りすることを防ぐためにガードマンも警戒にあたっています。身分を明らかにし、目的を述べ、中に入ることができました。
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暗い階段を3階に上がり、勝手知ったる廊下を用心をしながら店舗に向かいます。
途中、誰かが窃盗を働いていたり、盗みの目的で入っている人とばったり出くわして、お芝居のように「この野郎、見られたからには生かしておけない。」と言われて、包丁で刺されたり、鉄パイプで殴りかかられると困るから、抜き足、差し足、忍び足で店舗にたどり着きました。
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【天井の落ちた3階通路】
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【当社前3階広場】
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明かりの消えたさんプラザビルに、このように、震災後2回目の探訪を行いました。今回の目的は様子をみるという前回の時と違い、これから再建に向かって必要な大切な物や貴重品を盗難から防ぐという目的が変わっていました。
幸いにも、3階の我が社がある辺りには人影もなく、略奪にあったような形跡もなく、ほとんど無傷で、鍵を開けて室内に入ってみると、震災当日の日と何も変わっていませんでした。
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【当社事務室の罹災状況】
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改めて室内を見回してみれば、立てかけていたものは床に倒れ、ガラスや陶器は割れて散乱し、光学器械も横転していました。
別の部屋に行ってみると、容量が1トン以上もある海水魚用の水槽は床を這い、かなり移動していましたが、水槽の台にキャスターをつけていたので、倒れることもなく、床を移動するだけで幸いにも横転はしていませんでした。海水が床に流れ、階下のお店にご迷惑をおかけするような最悪は起きていなかったので、ややほっとしました。
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何もなかったとはいっても大震災の後の職場の様子は、地震により高いところから物が落ち、辺りに散乱して、まるで泥棒が何かを探すためにあるものを撒き散らしたような状況でした。
その中から現金、実印、銀行通帳、権利書などの貴重品をカバンに入れ、自分の物を保全しているにも関わらず、何か手当たり次第奪っていくような、ドラマの役割を演じているような役者になったような気持ちで部屋の貴重品を探しました。
しかし人が持てる物は僅かな物で、本当に貴重なものくらいしか持ち出すことは出来ません。
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【明かりの消えた室内】
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日の光があり真っ暗闇ではないものの、3階の廊下の部分にまでは光は届かず、廃墟の中の洞窟のような不気味な静けさと、蛍光灯の光のない自然の明るさを改めて知りました。
貴重品を運び出し、もう一度戸締りをしっかり点検して、また来た道を戻り、北区を通って湯の郷へ向かいました。北区の町はネオンが灯り、六甲山を境に地震の被害の様相は大きく違っていることを改めて知りました。
今日は再建のために必要な大切な物を確保することができたので、震災後、初めて仕事らしい仕事をした満足感に包まれました。
湯郷に帰ってみると、岡山白陵高校に行っている子供の父兄の方が早速お見舞いに来て頂いていました。
私は神戸に行っていたので直接お礼を申し上げることができませんでしたが、早くも支援の手が差し伸べられたことを本当にうれしく思いました。震災の中で自分が逃げ回っている間はなかったことですが、少し落ち着いてくると周囲の人たちが私たちのことを忘れていないと感じただけで本当に嬉しく思えるものです。