阪神淡路大震災の体験・エピソードNo.8 コンタクトレンズ難民の救済に向けて移転先仮設店舗探し 震災7日後 (№8)

1.17神戸震災から1週間経過。コンタクトレンズ難民の救済は移転先探しからです。

1.17神戸震災から1週間経過のエピソード

1月23日、今日で震災から数えて一週間が経過しました。

岡山の避難所でも、新聞、テレビの報道から神戸の震災復興が少しずつですが始まっていることが伝わってきました。

心配していた余震も徐々にに遠のいてきました。

神戸の罹災地にも落ち着きが出てきていました。

そろそろ田舎の避難生活から会社再建を目指して神戸に戻る事にしました。

対策本部を美作町の湯郷から神戸北区の有馬へ移動しました。

有馬であれば、神戸の情報は取りやすく、人と会うこともできるようになるからです。

主な取引先の方とも電話連絡がつきました。

社員・職員の皆さんは無事でした

コンタクトレンズの社員と眼科の従業員の皆さんの安否状況も、だんだんとわかってきました。

幸いなことに、震災により直接的に身体に被害があった方はいないことがわかり、一安心しました。

まだ一部の人は連絡が取れない状態で避難所にいるか、自宅から離れてどこかへ身を寄せている人もいるようでした。


≫1/17中央区学校体育館内部(提供:阪神・淡路大震災『1.17の記録)

一人一人の連絡をつけるにしても従業員スタッフは、院長や社長がどこにいるのかわからないので、お互いが連絡が取りにくい状態にありました。

そこで、中間の誰かのところへ中継地としての連絡を寄せ合ってそこから中継してもらっています。

普段であればすぐできることが、電話回線がつながらなかったり、
行方を捜す方法がないことにより、心配はずっと続いています。


三宮に活気が蘇っています

有馬から三宮に出てみました。

バスを利用して有馬から三宮へ出てみました。六甲トンネルを抜けるまでの渋滞があり、とても長い時間がかかりました。

三宮の街を歩いてみると、崩壊したビルがたくさんあり、以前の街の様子が大きく傷ついているようです。

崩壊した建物から何かが落ちてくることを心配して、ヘルメットをかぶっている人も数多く見かけます。

街の埃は舞い上がり、喉と鼻と目の保護が必要でした。

三宮の街の道端には飲食の露店が並んでいました。

民力の力というのでしょうか、自然発生的に食べ物を売る屋台が出ています。

ビルの中や、地下街に店舗を構えた飲食店は殆どの店が震災のため閉店状態でした。

復興のために三宮に集まっている人たちは、食べるお店がありませんでした。

寒い野外で、飲食できたのは露店の屋台のお店でした。

寒いので、熱いおでんやラーメンが人気です。

ビール、お酒も飲めるように屋台で用意されていました。

センター街を見て回ると、落下したアーケードは既に撤去され、アーケードのない空が見える状況に変わっていました。

街を歩く皆さんは、寒さに防寒着を着て、口にマスクをし、背中にリュックを背負い黙々と歩いています。


コンタクトレンズ難民の救済を私がやります

コンタクトレンズを装用している人は困っていました。

レンズが無い、レンズが壊れた、下敷きになってレンズが取り出せない。

レンズのケア用品がない。

水道水がないので、レンズを洗えない等、困っている様子が目に浮かんできました。

コンタクトレンズ難民は沢山困っていました。

なんとか、レンズとケア用品で困っているコンタクトレンズ難民の方に提供したいと思いました。

しかし、販売施設と眼科施設が崩壊して代わりが無いのです。

このためには、急ぐべきは移転先の確保です。

知っている限りのチャンネルを利用して、空いているビルの中で
店舗となる場所を確保しなければなりません。

まず、社長である私が顧客、取引先、従業員、コンタクトレンズメーカー、金融機関、近隣の方々に対して、店舗再建を始めるという意思表示を伝えていくことから始まります。

大震災に遭って、倒れている中から起きる事が出来る人が、まず立ち上がる。

そして、コンタクトレンズを求めている罹災した人たちに対して、レンズの供給とサービスの提供を始めなければなりません。

これを意識して、まず「私がやります」と意思表示をすることによって、支援を得ることができます。

噂では、全国から神戸の市民に対して、援助物資やボランティアの提供が多く寄せられているようでした。

2005年1月11日放映NHKより

コンピューターを起動させる

大阪のコンピューターのソフトハウスの岡本社長に連絡がやっとつきました。

これから再建を始めるにあたり、我が社の顧客に対してメッセージを発信するために、まずはコンピューターの復旧から取り組まなければなりません。

震災当時に見た現場では、コンピューターは床に薙ぎ倒され、このままではきっと動かないと思いました。

そこで、まずコンピューターが再度起動するためには、ソフトハウスの社長の協力が必要です。

岡本社長は神戸の震災に対して大変心配して下さり、なんとか駆けつけてコンピューターを使えるように復旧させてみるというお約束をいただきました。

大阪から駆けつけてくださるそうです。

神戸までの道のりの一部は線路づたいを歩いて三宮まで来ていただくことになります。

言葉では表せないくらいにありがたく感じました。  

                   2019年1月 加筆・修正


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