自衛隊・消防救急隊の救援活動 火事場泥棒横行の噂 神戸大震災5日目(No.6)

阪神大震災の救援に向かう自衛隊は、秩序を維持し指揮系統に従い、無線を常に携帯しジープに乗った先遣隊は前方の様子を探りながら後方の部隊に連絡を取り合い、一つの指揮系統の元に動いていることが分かります。

交通機関の麻痺

鉄道は六甲道の高架橋が落ちたため、JRは運休していました。

阪神高速道路は神戸市内の橋げたが倒壊し、

かなり長期間に渡り交通止めが続きそうです。

早期の復旧が見込めない今では、

西から東へと物資が移動する陸路では

神戸地区は丹後、丹波にある

無傷の道路網が頼りになっています。

 ≫国際会館の被災の様子

情報収集のため神戸三宮へ

湯の郷で再建をどのようにするかと考えているときに、

やはりここにいては状況がわからない、

という反省から、家族を湯の郷に置いたまま、

一度神戸の三宮に情報と貴重品を取りに行くことにしました。

学生の甥の松葉真二君を連れて二人で

湯郷から神戸へ車で行くことにしました。

少しずつ救援活動が動き始め、

高速道路を走る車も今日は多く感じました。

神戸を避けて舞鶴道から北に上がり、

京都経由をすれば大阪に

物資が届くルートができています。

阪神高速道路は橋げたが倒壊し、

かなり長期間に渡り復旧が見込めない今では、

西から東へと物資が移動する陸路では神戸地区は丹後、

丹波にある無傷の道路網が頼りになっています。

「被災地を走行中」

阪神淡路大震災の救援活動が始まる

私と甥の松葉真二君の二人は、

一旦神戸三田インターの手前である吉川で降りて、

国道2号線をゆっくり走り抜けて神戸に入りました。

道路は混みあっていて、

途中多くの車と接触寸前のぎりぎりの道幅もあって

やっとの思いで三宮にたどり着きました。

2号線の途中で見た景色は、

普段と変わらない田園の風景が続きました。

普段と違うことは真っ赤な外装をした

消防車が道路に溢れるほど混みあっていました。

非常事態であることを認識したのは、

普段は見られないおびただしいほどの

自衛隊の隊列でした。

 
「2005年1月10日放映 読売テレビより」

 

組織と集団の違い

自衛隊と消防車、救急車等の違いは、秩序があるかないか、

秩序を作る指揮系統があるかないかが大きく違っていました。

つまり、組織的な行動なのか、

集団的な行動なのかの違いです。

≫長田区苅藻(提供:阪神・淡路大震災『1.17の記録)

自衛隊は秩序を維持し、指揮系統に従い、無線を常に携帯し、

ジープに乗った先遣隊は前方の様子を探りながら

後方の部隊に連絡を取り合い、

一つの指揮系統の元に組織的に動いていることが分かります。

キャタピラーをつけた戦闘車は当然ありませんが、

普段見ることのない自衛隊仕様の

トラック、バス、ジープ、給水車、援助物資を積んだ

運搬用トラックなどと神戸に近づくほど

たくさんの車と出あいました。

自衛隊の隊列車は住民の皆さんから

拍手で迎えられたのが印象に残りました。

困ったときの自衛隊の救援です。

自衛隊送別式(提供:阪神・淡路大震災『1.17の記録)

まさに危機管理とはこのような状況であると思います。

ほとんど戦時体制を想像するような部隊の移動でした。

他方、消防車や救急車は公共団体がボランティア活動の一環として、

各地域から派遣された方々です。

予め全体的な行動予定を示して、

「どこどこ地区の車はどの地域に行くべし」

といった指揮を受けていないようでした。

車を止めてはどこへ行こうか相談をしながら、

神戸の方向に進んでいるようでした。

地理の案内もなく、どこに行ってよいのか、

誰が救助を求めているのか

分からない状態で、

とにかく神戸へ神戸へと進んでいるように見えます。

火事場泥棒の横行

風評では、貴金属や金目の物がありそうな

罹災した無人のビルに忍び込み、

窃盗を働く一味がいるという噂がありました。

震災のどさくさに紛れて、

火事場泥棒のようなことが起きているという噂を

聞けば、これを保全するために

多少の危険も省みず、罹災したビルの現場に

戻ってみることを決意しました。

だけど、本当はおっかなびっくりで、

もし怖そうな人や刃物がちらついたら

すぐに逃げることにしていました。

「三宮日本生命ビル」

三宮に来てみると、

駅前のオフィスビルである三宮日本生命ビルが

ひどい被害を受けていることが分かりました。

このビルには、わが社が使っている

パソコンPC9450を販売している富士通が

入居していました。

三宮日本生命ビルは床が重なり合って押しつぶされているので、

さんプラザビルと同じような被害状況でした。

取り壊して再建しなければ

補修では済まないように思いました。


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