震災復興過労 による体調変化 全身がだるい、熱が引かない震災後54日~57日目(№27)

阪神淡路大震災復興過労による体調変化 全身がだるい、熱が引かない震災後54日~57日目(№27)震災後阪急は御影・三宮間が復旧しました。(№27)

震災被害罹災証明書

神戸市は震災で罹災した市民へ、

罹災証明書を発行し始めました。

神戸市の職員が住宅を一軒一軒

つぶさに実地調査して、全壊、半壊、

一部破損と被害の大きさを検分していました。

わが社と、私の住まいの両方で罹災証明書をいただきました。

会社は全壊です。自宅は半壊でした。

罹災証明書は公的な証明書なので、

今後の申請書類として添付して、

軽減措置を受ける機会があります。

さんプラザビルの「り災証明書」

 

学校は春休みになりました

次女と長男が春休みになったので、

学校の寮から神戸に帰ってきました。

本来なら進学の問題が家の中で大きな問題となり、

いろいろと相談に乗ってやらないといけないのです。

今の現状を見れば、子供達も自分で考え、

自分で進路を判断して進んでいるように思えて、

すまないと思う反面、

成長したなあと頼もしく思いました。

長男は高校進学です。

次女は医学部受験です。


カニを食べて知恵を絞る

メニコンの安永幹夫さんが

いろいろとよく動いてくれているので、

これまであまり食べられなかった、

冬の味覚であるカニを食べに行くことにしました。

三宮の市街地では、

まだ飲食店は本格的な復興をしていないので、

少し足を伸ばして近郊の

飲食店に車で行って食べてきました。

カニスキを食べながら、

この先の再建の中でやらないといけない問題である

告知活動について、どのようにして

少ない予算で効果的な成果を上げられるのか

という虫のいい相談をしています。


その中で考えついたのは、

センタープラザの壁面広告に、

我が社が、さんプラザから市役所の後方にある

今西ビルに移ったという広告をすることにしました。

さんプラザにいれば、

JRに向かって無料でできる広告なのですが、今は有料でも高い広告費を払ってでも、

移転告知活動をしなければならないので、現在は仕方がないと思います。

阪神淡路大震災54日目:1995年3月11日(土)


人出不足で困っています

忙しい1日でした。

忙しい原因は、先日のDMハガキや、

マスコミ各社の記事紹介が効いてきているのです。

コンタクトレンズを三宮で購入していた人たちは、

今は大阪に出向いてレンズを購入している人が多いようです。

大阪の販売店は特需のように、

コンタクトレンズの需要が増えているそうです。

大阪まで行かなくても、

三宮でレンズが調達できると、

三宮へ戻ってくる方が増えるのは自然の成り行きでした。

しかし仮設店舗では通勤困難のために

従業員が減っていて、せっかく来ていただいた

お客様にお待たせをする時間が増えています。

早く従業員が採用できたら、と思っています。

阪神淡路大震災55日目:1995年3月12日(日)


過労による発熱

なにもかも、少しでも、

一日でも早く復興をしたいという気持ちが先立ち、

少し働きすぎたようで過労による発熱です。

38度の熱が出て、頭がくらくらしました。

しかし、私が出ないと現場指揮者がいないので無理をして出勤です。

現場に立てば、熱があっても普段通りの仕事が待っていました。

一日大変辛い状況でした。


阪急電車一部復旧

阪急は御影・三宮間が開通しました。

私は岡本に住んでいたので、

御影まで何とか行けば、

電車で三宮まで行けるようになりました。

行列に並んで、阪急御影駅の

プラットホームから電車に乗った時は、

これまでは当たり前のことが、

大きな感動を覚えました。

この新聞記事は、当日のものです。

夕刊ですが1面に

さんプラザビルが写っているので

大事に保管しておいたものです。

紙面には、御影駅の混雑ぶりを

よくとらえた写真も掲載されていました。


労働基準監督署からの呼び出し

眼科の元従業員が、

震災後の眼科医院の退職手続きの対応について

もっと迅速にしてほしいと

労働基準監督署へ相談したようです。

相談に基づき労働基準監督署から

眼科へ事情を聴く呼び出しがありました。

院長に代わって、私が事情説明に行ってきました。

震災直後に神戸から他の地区に避難した従業員の中には、

すぐに失業保険をもらいたいという気持ちがありました。

退職金支給や失業保険手続きが遅い

という理由で労働基準局に相談した方がいました。

しかし、神戸の街は大混乱で

自分の身の安全の確保の方が難しい状況があったので、

失業保険給付の事務手続きが遅れていました。

神戸の労働基準局や職業安定所自体が

罹災のため休止していました。

そこで、労働基準局に出向いて、

当社の状況を説明すると神戸の地元の方は、

今の震災の状況は十分理解できていましたので、

それはやむを得ないという意見を頂きました。

阪神淡路大震災56日目:1995年3月13日(月)


全身がだるい、熱が引かない

熱は下がりません。38度以上の高熱です。

38度を超える発熱では、

大変しんどい状況が続いています。

熱があるので、休みますと寝ているわけにもいかず、

高熱のまま仕事に就いています。

風邪なのか、過労なのか、花粉症なのか、

どれにも当てはまりそうで、

何が本当の原因なのかわかりません。

しかし、あちらこちらが痛く、

しんどい状況が続いています。

きっと精神力で立っているようで、

もし何か安心するようなことがあれば、

どっと隠れていた疲れが出て、

寝込んでいたかもしれません。


ニチコン荒木社長の震災見舞い

今日は、取引先のニチコンの荒木社長が

仮設店舗へ震災見舞いにやってきてくれました。

荒木社長は芦屋の自宅で罹災されていました。

幸い、お家は崩壊していなく、

荒木社長にも怪我もなく、家族の皆様も無事でした。

お見舞いに行く人も、

お見舞いを受けるひとも震災の被害者です。

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阪神淡路大震災57日目:1995年3月14日(火)

             2019年1月 加筆 更新


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