1.17神戸震災後の営業再開日。阪神大震災17日目(№14)

さんプラザビルの復興が決まりました。

営業再開の日

昨日(2月1日)多くの方に手伝っていただいて移転先への引越しが無事に終わり ました。ありがとうございました。

「さんプラザビルの復興工事 」

皆さんのご協力のおかげで、今西ビルへの移転がなんとか完了し、今日から営業を
再開できる状態になりました。

売り上げは全てを癒す 1.17震災後初の売り上げ

この日、しばらくぶりに売り上げがありました。

今西ビルに移って初めてのレンズの販売がありました。

私の格言に「売り上げは全てを癒す」と言っています。

現金売上は元気を招きました。

以前に比べるとわずかな金額でしたが、さっそくレンズの購入にきて
いただいたことをこれからの励みとしたいと思いました。

私はここに居ます

今西ビルで営業していることをこれまでのお客様にお知らせするために、街に出て
ビラを貼って歩きました。

神戸市が用意してくれた貼り紙には、「私はここに居ます」と書かれていました。

これを、市街地の目立つ場所や、市民ホールとその近辺に貼って歩きました。

この用紙は、統一用紙として神戸市が作成してくれました。

震災の後、お互いに連絡手段がなく、このように原始的な方法で街角にそれぞれの状況を
伝えるために掲示が許されました。

タイトルは「私はここに居ます」と最上段に赤地に白抜きで表示されています。

気になる人や、探している会社はその後、どのようになっているのか大変気にかかる
状況でした。

アナログで広告

このような情報が少ないとき、紙に書いて人が集まる所に掲示をして、かすかな期待で
読んでもらうという方法はアナログ形式でした。

今回のスマトラ沖地震・津波災害の場合も実際に各地で掲示されている様子が
報道されました。

携帯電話はいつかは電池が切れ、水をかぶったり落としたりすると使えなくなります。

そうなると、時間と距離と場所を繋ぐデジタル文化は成立しなくなります。

物的な物に書いて、狭い地域に相手に直接読んでもらう方法が今でも復活しています。

1.17震災当時は通信がズタズタに寸断されていた上に、今のように携帯電話や
インターネットが普及していたわけではありませんでした。

情報は、自分の足を動かして発信するしかありませんでした。

三宮駅前の横断歩道の信号機や、大きな筋や通りの電柱など、お客様の目に入りそうな
ところをめぼしを付けて貼りました。

なんとか私たちが元気で営業を再開したことを知って欲しくて、何枚も何枚も手分けして
貼って歩きました。

従業員の通勤途中、取引先の担当者が訪問してくる道すがら、自分自身が出かけて
交通の要所要所に掲示して回りました。

全て手書きで書いて、そして透明ビニールテープを使い、電信柱や掲示可能な場所を
探して歩きました。

これが意外に効果を発揮し、さんプラザコンタクトレンズと松葉眼科がどこにいったのか、
探していた方の目に止まりました。

新しい移転先へわざわざ訪ねてきてくれた動機となりました。

補修して再建か、立て直しか

一方、さんプラザビルをどのようにするかという集会が何回かありました。

1.現状をできるだけ活かし、最低の補修で再建を図る

2.全て取り壊し、立地を生かして新しい高層ビルを建てなおす

3.被害の少ない基礎を活かしてその上に 新しいビルを建てる

復興委員会が組織され、役員が任命されました。

さんプラザビルの管理会社と今後の進むべき方向を何回も討議していました。

役員となった方はご自分の店舗の再建だけでも大変な中で、ビル全体の再建を
討議しました。

多くの利害関係者の利害がぶつかる中で一つの選択に意見をまとめていかなければ
なりませんでした。

どの方法も良いところもあれば、不利なところもでてきます。

1の場合は、できるだけすぐにビジネスに戻りたいという気持ちがこもっています。

早くお店を開けてお客様を失わないように、日々の現金収入を得たいという意識は
誰にもありました。

2の全面的建て替え案は多大の経費を要します。

誰がどのフロアを確保できるのか、配置替えの結果ではお店の将来が大きく変わり、
ひいては存続問題にまで発展する問題となります。

しかし、このような災いを転じて福となす絶好の機会であるとも言えます。

いつか老朽化するビルはなかなか全面的な建て替えなどができる機会はありません。

すでにさんプラザビルは老朽化の問題はジワリジワリと出ていました。

老朽化を一気に最新のインテリジェント・ビルに変えることも可能だったのです。

3は、中間案で現実的には設計事務所や建築会社が強度計算をおこない上に
どのくらいの荷重がかかっても耐えられるかという答えが出たなかでの話ではありません。

したがって、この3の案は希望的な案となります。

区分所有者総会で決議

いつまでも、あれがいい、これがいいと「会議は踊る」というわけにもいかず、
いつかは結論を出さなければなりません。

そこで、区分所有者大会が召集され、多数決で決することとなりました。

院長と私は、眼科とコンタクトレンズを代表し、区分所有者大会に出席しました。

総会決議の結果

ビル管理者側の説明を聞き、それぞれの意思決定をおこなうために投票がなされました。

その結果、多数を得たのは1の現状を活かし、最低の補修で再建を図るという案が
採択されました。

これに向かって管理会社はこれから再建の見積もりをおこない、直ちに工事に
取り掛かることに決まりました。

ビルを建てたのは神戸市都市計画局が主体となり、日建設計が設計し、竹中工務店に
発注したので、今回の補修再建も設計図を管理している関係上、竹中工務店になりました。

今日2月2日は、このようにさんプラザビルがどのような形で復興するかが決まった
重要な一日でもあり、とても長い一日でした。

 阪神淡路大震災17日目:1995年2月2日(木)

             2019.1加筆 更新


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