お茶のおもてなしで、歴史が変わる。伊藤園創業者 本庄正則・本庄八郎兄弟 石田三成の逸話 

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お茶のおもてなしで、歴史が変わる。伊藤園の西本賀則さんと、片山大輔さんが来られました。

お茶のおもてなしで、歴史を変えた 伊藤園

「お~いお茶」で有名な、伊藤園の兵庫地区営業部部長・西本賀則さんと、

神戸西支店副支店長・片山大輔さんのお二人が、ご挨拶に来られました。

西本賀則さんは、20年前にわが社に飛び込み営業に来られた思い出があります。

3Fのコンタクトレンズ販売店舗前に、伊藤園の自動販売機を設置してほしいという勧誘でした。

20年前、店頭に自動販売機を設置しても、販売成果は思わしくありませんでした。

しかし、これが伊藤園とのご縁の始まりになったのです。

西本賀則さんは神戸の後、関東に転勤があり、神奈川でお仕事をして、その後わが社の担当をしていた永井威彦さんと、職場が一緒になったそうです。

わが社では、伊藤園のお茶を自動販売機で売るよりは、お客様全員にお茶を無料サービスするようになりました。

一か月に数千人の来客があるので、伊藤園のお茶は、毎月相当な仕入れがありました。

西本賀則さんは自分が開拓したさんプラザコンタクトレンズが、20年経ってもいまだに伊藤園のお茶をコンスタントに大量に購入してくれていることに、大変感謝していました。

そこで今日は、地区責任者の片山大輔さんと一緒に感謝の気持ちを込めて、表敬訪問されたということです。 

伊藤園では、厚生労働省認定社内検定 伊藤園ティーテイスターの制度があるそうです。

分かりやすく言えば、お茶の検定試験です。

お茶の話をしていると、お茶で有名な話を思い出しました。

そこで、こんな話はご存じですか?と尋ねました。

それは、石田三成のお茶三献の話です。

お茶のおもてなしで、歴史を変えた 石田三成 「三献の茶」

長浜城主羽柴秀吉公は、近江国の観音寺に鷹狩りの帰りに立ち寄りました。

喉の渇きを覚えた秀吉公は、寺小姓に茶を所望しました。

汗をかいた様子の秀吉公を見た寺小姓の少年は、最初に大きめの茶碗にぬるめの茶をなみなみと注いで献上しました。

秀吉公がもう一杯頼むと、次に一杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、茶碗に半分ほど献上しました。

秀吉公がもう一杯頼むと、三杯目は小振りの茶碗に熱い茶を献上しました。

先ず、ぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後の熱い茶を充分味わわせようとする寺小姓の細やかな心遣いに感服した秀吉公は彼を家臣としました。

それが後の石田三成である、という逸話です。

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東京大学史料編纂所所蔵

お茶のもてなしがきっかけで、石田三成は歴史に名を残すきっかけを作ったのです。

もし、石田三成が秀吉に気の利いたお茶を献上しなければ、石田三成が世に出ることはなかったそうです。

(出典 Wikipedia「武将感状記」)

西本賀則さんと片山大輔さんは、石田三成の三献茶を初めて聞いて感心していました。

お茶のおもてなしで歴史が変わったことに、驚いたようです。

近視眼的マーケティング

私は大学院に行って、サービスマーケティングを学んだので、お客様にお茶を差し上げる意味が、とても大切な役割をしていると思っています。

マーケティングの事例にセオドア・レビット先生のマーケティング近視眼の話があります。

工作に穴をあけるために、ドリルを購入する事例です。購入者は、ドリルを買いたいのでは無いのです。

ドリルで造る穴を買いたいのです。

それならば、ドリルを改良するより、ドリルで開ける穴をどのように改良するかを考えるのがマーケティングの目的になります。

これが見えないことを近視眼と表現したのです。

伊藤園のお~いお茶を差し上げるのも、暑いときには冷たいお茶を、寒いときには温かいお茶を差し上げるように指示しています。

しかし、お茶を差し上げることが目的ではないのです。目的は他にあるのです。

お茶の差し上げ方も、着席したときにすぐ差し上げるようにして、できるだけお茶をすぐに飲んでいただいて、お茶を飲んでいる間に会話が弾むように、社員に勧めています。

お茶を飲むことで緊張がほぐれ、お客様からは要望を聞き出し、社員の皆さんは要望に沿った提案ができるように、お茶の助けを借りています。

お茶の歴史を変をえた。伊藤園 創業者 本庄正則さん

西本さんからは、伊藤園の会社の歴史についてお話を聞きました。

創業者の本庄正則さんは、神戸の出身で、生田中学校の卒業生だそうです。

1959年早稲田大学第一法学部を卒業して東都日産モーターで自動車セールスマンをしていました。

幼稚園の送迎システムを考案

彼が着目したのは、当時は未だ普及していなかった幼稚園の送迎バスでした。

幼稚園の送迎バスのシステムを考案して、送迎バスを幼稚園に売り込んだところ、全国に普及していったそうです。

家庭用 置き日用品の販売システム

その後、本庄正則さんは自動車のセールスマンを辞め、独立自営を目指しました。

日用品訪問販売会社日本ファミリーサービス株式会社を経営しました。

富山の置き薬システムと同じように、訪問販売に一捻りして、日用品を訪問先に置かせてもらい、使った分だけ清算し、また商品を補充するシステムでした。

しかし、この商法は思ったほど伸びませんでした。

その中で、唯一利益を生んだのが、お茶だったそうです。そこで、お茶に注目したのです。

フロンティア製茶株式会社を設立。

弟の本庄八郎と共に、合資会社ビーエー商会(静岡市内のお茶輸出商社)と

の共同出資で、静岡市神明町(現・静岡市葵区神明町)にフロンティア製茶

株式会社を設立し、お茶を本業としたのです。

その後、東京・上野にあったお茶屋「伊藤園」から商号を譲り受け、現社名

の株式会社伊藤園に商号変更しました。

株式会社本庄商事(日本ファミリーサービス株式会社から商号変更)と合資

会社ビーエー商会から緑茶事業の営業譲渡を受け、製茶卸売業として発展していきました。

お茶の概念を変えた 缶入り烏龍茶を世界で初めて生産・発売

1979年から、中国土産畜産進出口総公司と代理店契約を締結、烏龍茶の輸

入卸を手掛け、缶入り烏龍茶を世界で初めて生産・発売、清涼飲料水市場に進出しました。

缶入り緑茶「煎茶」(後の「お〜いお茶」)も生産・発売しました。

缶入り烏龍茶の先駆け的な企業になったのです。

インパクトの強い商品名『お〜いお茶』の命名者は、島崎保彦さんです。

コーポレート・メッセージは、「自然が好きです。」としました。

(参考資料 Wikipedia)

お茶のもてなしは歴史を変える

伊藤園の西本賀則さんと片山大輔さんとの面談をして、お話を聞いたり、話

したりしているうちに、お茶の効用について、改めてその効用の大きさに気づきました。

石田三成のお茶三献は、日本の歴史を変える大きなきっかけを作りました。

本庄正則さん、本庄八郎さん兄弟は、お茶に着目して、日本のお茶の文化を変えました。

これまで、お茶は只で、買うものとは思っていなかったお茶に価値を与えたのです。

お茶を用意するための時間の節約も生みました。

我が社では、ペットボトルのお茶をお客様に差し上げることで、コミュニケーションの切っ掛けになって、業績向上をもたらしています。

たかがお茶と思ってはいけません、お茶には歴史を変える力があるのです。

まとめ

30年近く前に、わが社に飛び込み営業をした、お茶の伊藤園の担当者が面

会に来られました。お茶の話が弾みました。伊藤園の創業者が、お茶で上場

企業を創った話を聞きました。お茶といえば、石田三成の三献茶の話をしま

した。お茶のおもてなしで、歴史が変わりました。伊藤園創業者 本庄正

則・本庄八郎兄弟と 石田三成の逸話で お茶一つで、人生が変わった話でした。

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2019年6月17日(月