令和の新年号が発表されてからのお花見 南あわじ市 賀集八幡神社

投稿No:8217

令和の新年号が発表されてから 南あわじ市の賀集八幡神社で桜の花見

令和の話題で世間は持ち切りです

令和の年号が発表された、2019年のお花見は、最近の冷え込みのせいで開花時期が遅れています。

年号は平成から令和に代わることが、4月1日の政府決定で決まりました。

年号が代われば、人心の一新があるかもしれません。

まだ満開にはなっていないようですが、南あわじ市の賀集八幡神社にお花見に行ってきました。

南淡路市賀集八幡神社

賀集八幡神社の創立は不明ですが、1340(暦応3)年、足利尊氏の命により阿波から入島した細川師氏(もろうじ)が神前で戦勝を祈り、鎬箭(かぶらや)を申し受けたと言われています。

賀集八幡神社では、何組かの人たちが、お花見をしていました。

カラオケ機材を用意して、焼肉を食べながら、順番にマイクをとり、大きな声でカラオケを歌っていました。

高齢者の集まりのようで、歌っている曲は、私もついて歌えるような古い歌が続いています。

三橋美智也の哀愁列車とか、春日八郎の別れの一本杉などです。

お花見の前に、まず最初にお寺にお詣りです。

ここは、お寺と神社が同じ敷地にあって、神仏融合の地です。

賀集八幡神社への参道には、両脇にさくらの並木が続いてます。

参道は脇のさくらは、淡路島内でも有数のさくらの名所となっております。

開花時期の3月下旬から、薄紅色の桜が見事に咲き乱れます。

毎年4月第2日曜日には、春祭が執り行われ、地元のだんじり約14台がだんじり唄の奉納に参道を通って宮入りします。

この日には、多くの人がその勇壮な姿を見る為に賀集八幡神社 参道に集まります。

本殿は神社では珍しい縁構えと檜皮葺の屋根を持ち、境内には八幡橋(めがね橋) と呼ばれる総御影石造りのアーチ橋があります。

この橋は淡路で唯一の明治の文化遺産で、往時の面影を今に伝えています。

近参道脇に隣接する護国寺は、もと賀集八幡神社の神宮寺で、本尊の大日如来をはじめ貴重な仏像や歴史資料を多く蔵しています。

淡路四国十七番霊場であり、江戸時代初期の庭園が有名です。

この寺は「淡路島七福神めぐり」の 布袋尊霊場として、多くの人が参詣に訪れています。

護国寺にお詣りしました。

いつもの様に、家内安全、商売繁盛を祈願しました。

次に、八幡神社にお詣りしました。

八幡神社の拝殿の建立年代は不明ですが、境内には芭蕉の句碑が立ち、近年まで参道にかけられていた総御影石造のめがね橋が移築されています。

寺所蔵の『八幡宮絵図』は室町時代の作品だと伝わっております。昭和49年には、兵庫県指定重要文化財に指定されました。

江戸初期の建築様式をもつこの神社は、現在では厄除けの神として信仰を集めています。

【出典:あわじウェブドットコム】

淡路島七福神霊場の一つで布袋尊を御祀りしています。

家庭円満・和合を授けると言われています。

護国寺の由緒

行教上人が開創された由緒ある古刹で、本尊の大日如来挫像は、慈顔にみちたお姿で胎蔵界を表し、千年の歴史が偲ばれます。

行教上人は、大和大安寺の僧で三輪宗及び真言宗を学び、 後に伝灯大法師に任じ、貞観元年(869)、豊前宇佐八幡宮に参詣し二年余りをここで過ごしました。

行教上人有縁の史跡と云えます。

七福神 布袋様

ほていさまは、七福神で唯一実在の人物という中国五代聖人の一人である弥靭菩薩の化身ともいわれ、大量を表現し、堪忍と和合を教えてくれる神様です。

「この世の中には五濁悪世」と嘆いてばかりではいけません。

清濁も合わせ呑みこむ大きなハラを持ち、背負った袋は宝物だけど自分のものではないのです。困った人への贈りものなのです。

左右の大きな耳たぶは、他人の話を聞き分ける耳です。

言ってはならぬことは耳たぶへ貯めて耳タブが大きくなりました。

布袋尊は仲良く暮らせる人間の理想の姿をあらわせられたものです。

出典:淡路島観光ガイド・あわじナビ

しまなみ海道にある、大三島の大山祇神社も、戦の神様として、古くから武将の寄進を受けて、今では国宝級の文化財が残っていますが、ここ賀集八幡神社も、戦国大名や武将たちの寄進を受けて、立派な神社の構造が残っています。

桜は、4月の第1週めではまだ咲きそろっていませんでした。

4月7日の日曜日頃が、見頃のようでした。

 


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