尾道で泊まるなら老舗旅館西山別館「藁の屋」

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藁の屋に泊まると、昔の日本家屋に戻った安らぎを感じます。 尾道 老舗旅館西山別館 (1)

記憶が思い出せない西山別館

尾道の西山別館に泊まるのは、今回が2回目です。

前回はかなり前のことでした。

今から30年程前の、母 松葉登美子が亡くなった後の法事の時の宿でした。

兄弟一同で西山別館に宿をとり、食事会をして、そのあと泊りました。

それが、なかなか記憶が蘇らないのです。

どの棟で食事会をして、どこで寝たのか思い出せません。

普通なら、こんな名門旅館なら、記憶に残っていそうなものですが、思い出せません。

多分、ビールとお酒を一杯飲んで、酔っぱらってしまい、記憶が飛んだのかも知れません。

あのとき、食事に牡蠣が出て全部は食べきれずに食べ残したことは、うっすら思い出しました。

尾道老舗旅館 西山別館「藁の屋」棟

今回は一番人気の高い藁の屋が空いていたので、宿泊は藁の屋でお願いしました。

前回、藁の家ではなかったことは確かです。

2月は泊まり客は少ないようです。

人気の良い時は、藁の屋は早くから予約が入って、なかなか泊まる事はできません。

フロントでチェックインを済ませると、泊まる棟に案内されました。

藁ぶき屋根の、その名もぴったいの「藁の家」です。

外形は伝統的な日本建築の平屋造りです。

こんな古風な屋敷にはなかなか泊まる機会はありませんでした。

藁の屋という棟の名前は、屋根が藁葺き屋根だからです。

西山別館の”顔”になっている離れの客間が「藁の家」です。

藁葺きの古民家を思わせるそのたたずまいは、根強い人気があります。

客間からは障子越しに中庭を一望でき、まさに和の心を堪能できる代表的な客間といえます。

冬は、日本家屋は寒いのが普通です。

隙間風が入りそうな日本建築

私が子供の頃住んでいた木造の日本家屋は、すきま風が入るのが当たり前でした。

雨戸を閉めて、寒さを防いでいましたが、障子の隙間から、雨戸の隙間から、土壁の隙間から、冷たい風が入り込むのです。

藁の屋も昭和18年の建立なので、きっと寒いと思っていました。

予想に反して暖かい

部屋に通されて中に入ってみると、部屋の中はエアコンが付いていて、お座敷は電気カーペットがしかれ、廊下には床暖房が施され、あちらこちらに温かい風を送ってきていました。

宿泊には、一棟が丸々使えるようになっています。

藁の家全体に暖房が施されていました。これなら寒くありません。

家の中を見て回ると

他所の家に泊まると、嬉しくなって家の中を見て回りたくなります。

個人宅なら、家の中を見て回るようなお行儀の悪いことはできません。

でも、旅館なら見て回っても、お行儀は悪くないのです。

メインのお座敷の他、控えの部屋、茶室、窓に面したロビー、大きなお風呂、広いトイレ、広い洗面所などがあって、都市型ホテルの狭い部屋と比較

すると、スイートルームよりさらに広い部屋の広さです。

芝生が広がるお庭

午後3時半ごろに到着したので、西山別館のお庭は、部屋の中からもガラス越しに透けて見えるのです。芝生は冬枯れしていました。

どの棟からも広い芝生のお庭が見えるように建物が配置されています。

食事は、別棟で頂くことになっています。

この藁の屋まで運ぶサービスはありません。

しばし、床の間を背にして、お茶を頂きながら一服です。

これだけの借景なら結婚披露宴には向いています。

おおきな枝垂れ桜があって、この桜が咲くと見事だろうなぁと思いました。

尾道の歴史と文化

リーフレットの解説では、尾道は瀬戸内海に面した歴史ある港町です。

私は、この近くの忠海で幼い時育ったので、このあたりの海の景色は大好きです。

尾道は自然の良港に恵まれています。

対明貿易船や北前船、内海航行船の寄港地として、中世・近世を通じて栄えました。

約800年の歴史を持つといわれる尾道港では、各時代に豪商を生み、その財をお寺の建立や町の整備などに費やされました。

商人の居宅、別荘、茶園、庭園などの商人文化が開花しました。

文学、絵画、茶道、囲碁などに関わる文人墨客が多数居住し、現在でも市内にはそうした人々の活動の痕跡が様々な場所に残っています。

尾道には歴史的な寺院がたくさんあります。

市内にある浄土寺は、奈良時代の613年、聖徳太子によって創建されました。
1336年に建武の乱に敗れた足利尊氏が再起の戦勝祈願を浄土寺で行いました。

文学では、「暗夜行路」を書いた志賀直哉、尾道の女学校に通った「放浪記」作者の林芙美子を始め、多くの文人たちのゆかりの地でもあり、また小津安二郎監督の「東京物語」や、大林宣彦監督の尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」などの映画の舞台としても有名です。

尾道の名前由来

尾道の名前の由来が記されていました。

大宝山(千光寺山) 摩尼山(西国寺)瑠璃山(浄土寺山)の各山が海にせまり、海岸沿いに山の尾根伝いに一筋の通りが有ったことから「山の尾の道」に由来するという説があります。

もう一つは、港町尾道にとって大切な船の航路からうまれた「澪の道」という説があります。

昭和18年創業の西山別館

そんな歴史ある尾道の地で、西山別館は昭和18年に創業いたしました。

瀬戸内海を望む山陽を代表する宿として、多くのメディアに掲載いただくと共に多くの著名人に御愛顧頂いており、瀬戸内海を望む芝庭園に点在する離れは、当時の名工の技が光る建築・設えとなっております。

お客様に宿泊していただく客間は、そうした文豪達の息遣いをそのままに残しているようです。

浩宮皇太子殿ゆかりのお宿

女将さんのお話では、浩宮皇太子殿下が学術論文を書かれたとき、西山別館にお泊りになって論文を執筆されたそうです。

間もなく、平成の年号は変わります。浩宮殿下は天皇に即位されます。

浩宮殿下がお泊りになった宿に宿泊できて光栄です。

2019年2月13日(水)


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