震災罹災ビルは取り壊し。神戸大震災後4日目(№5)

さんプラザビルの被害が一番ひどいようでした。

神戸から岡山へ避難

阪神大震災の罹災地を離れて美作町湯郷に避難してきています。

湯郷の町から地方都市、岡山県津山市までは車で30分ほどの近い距離にあります。

神戸の情報を入手するにも、関係先に連絡をするにしても、
どこか情報が交換しやすい場所に行く必要がありました。

津山の街に行ってみると、その後の神戸の震災の状況をテレビにより
知ることが出来ました。

新聞では写真で阪神大震災の破壊された街の状況が報道されていました。

テレビではヘリコプターから撮影した上空からの市街地の様子や、
長田地区の火災の状況を初めて見ました。

私は被災者でしたがその私が想像以上の被害の状況に改めて驚きました。

避難先で知った地震の詳細

報道機関がこれまで神戸及びその周辺である芦屋地区・淡路地区で
被災の状況を取材をし、全国に流された被害の情報はテレビやラジオ、新聞により、
たくさんの詳しい話を知ることができました。

震災の真っ只中にいて、逃げ惑う私と家族には、落ち着いて被害の状況や
罹災の状況をこれまで知ることがなかったのです。

幸いだったのは、子供たち3人は神戸の親元の家を出て、いずれも岡山の
中学校・高校・大学の寮で生活をしているので生活の心配が無かったことです。

その子供達ともやっと連絡が取れてお父さん・お母さんは無事であったことを
知らせることが出来ました。

さんセンタープラザの管理事務所と連絡がつく

とても気になることは、さんプラザビルの状況です。

復興出来るのか、取り壊して再建するのか、それによって今後の震災復興が
大きく影響を受けることになるからです。

取り壊して、建て直しなら3年以上はかかりそうな復興計画になります。

そうなると、それまでの間どこで、どうして店舗を維持するのか、
深刻な問題につながります。

神戸のさんセンタープラザの管理事務所と連絡が震災後初めて取れました。

管理事務所の情報では、さんプラザビルが一番被害がひどいようでした。

これからの対策として、近々区分所有者集会を非常召集し、被害の状況を
テナント、区分所有者に説明し、今後のビル全体の方向性を検討する集会が
開かれるということでした。

震災直後に私がさんプラザビルを遠くから見た時には、被害の詳しい状況は
把握できていませんでした。

さんプラザビルは取り壊しか、再建か?

その後わかったことは、ビルが折れ重なって押しつぶされていたのですが、
それは遠目から見るとあまり損傷のない状態で建っているように見え、
被害の実態は遠目からはわかりませんでした。

実態は、さんプラザビルの6階部分の支柱が折れ、下の階に上の階が
押し重なり、とても危険な状態で、使える状態ではありません。

電話で聞いた管理事務所の説明では、詳しいことはまだわからないけれど、
現在さんプラザビルは危険なために立入が禁止されていて、そのうちに
公的機関からの安全確認を受けることになるけれど、最悪の場合はビルを
取り壊さなければいけないのではないかという意見が討議されていることを
知り、驚きました。

棟続きのセンタープラザビルは軽傷のようでした。

鉄筋コンクリート建ては、ビルの重量が重く、支柱に負担がかかり
耐えきれなくなったようです。

H型鋼の鉄骨造りのビルは軽量で支柱の負担が軽く、損傷が軽微で
済んだようです。

予定では神戸市によって安全なビルと危険なビルの点検が成され、
危険なビルは立ち入りが禁止され取り壊される方針のようです。

三宮の中心地のそごう百貨店は全壊です。交通センタービルも全壊です。

新聞会館ビルも、国際会館も全壊です。

大きな有名な商業施設ビルは軒並み全壊の酷い状況でした。

これまで頑丈な鉄筋コンクリートのビルと思っていたさんプラザビルが、
直下型の地震を受け、尻餅をつくようにビル自体がへたり込んでしまっていたのです。

さんプラザビルは立ち入り禁止

これからどのようにして我が社を存続させようかと、一瞬
「こりゃ、さんプラザを頼ってもだめだ」と思ってしまいました。

何しろさんプラザビルは倒壊の危険性があるので立ち入り禁止になっていました。

そうなると、なるたけ早いうちに代わりの移転先を探す必要があるし、
こんな時に壊れていない安全な商業ビルが見つかるだろうか、と前途に
不安を感じてしまいました。

前途に暗い不安感をいただいただけでしたが、これだけの情報を取るだけでも
大変な努力と時間がかかったのです。

普段、テレビをつけてチャンネルを回せば、たくさんの情報がいながらにして
知ることが出来るということは大変便利で、これが非常時には情報がないのです。

双方通行の情報はなく、片方だけの情報しか入らないのです。

なんとか関係者と連絡を取り合って、この先の会社運営の進め方について、
相談や議論をしたいと思っても、時間が経過しなければ混乱は静まらないのです。

今は何も出来ないけれど、今日の話では早く代わりの店舗を
確保しなければならないようなので、一刻でも早く店舗の確保のために
神戸に戻らないといけないと、イライラしながら今日一日が終わってしまいました。


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