兄・松葉賢一の命日は8月16日です。家を継ぐのは男子の役目なので長兄が亡くなると、弟の私に松葉家の家長の役割が回ってきました。

投稿No:7909

4人兄弟の一人が欠けても終活を意識するようになりました。残り3人もぼちぼち終活を始める時期が来たようです。

神戸を離れていた姉二人が神戸に遊びにやってきました。

二人とも神戸の街が好きです。

二人とも同じホテルに泊まって、あちらこちら思い出の場所を訪ね歩いて、夕刻会社の事務所に戻ってきました。

夕食を一緒にしようと、私と奧さんと姉二人の4人は、センタープラザビル19階の東天紅で中華料理を頂きました。

4人とも子供の時のように、沢山の量は食べられません。

メニューを見て、美味しそうなものを選び、少量で品数多く注文しました。

夕方の食事時なのに、東天紅にはお客様はあまりいません。

全く居ないのかと思っていたら、グループの人たちは個室を使っていました。

久しぶりに姉弟の3人が集まると、亡くなった兄の思いで話になります。

兄の松葉賢一は6年前の2012年8月16日に亡くなりました。

兄弟の中で長兄の兄が亡くなると、姉二人は私を頼るようになってきて、

なんとなく私が繰り上げ当選のように家長の役になっています。

家長の一番大事な、為すべきことは松葉家の祖先を祀る仏壇とお墓を守る役目です。

松葉家の家祖は松葉資宗(すけむね)です。

資宗は、松葉遠江次郎と称していました。

「東鑑(あずまかがみ)」によれば松葉次郎について、尾張国の御家人にて、文永2年(1265年)97才にて没すると記されています。

資宗の父の宗益(松葉入道と称する)と共に源氏に属して平家追討の軍功があり出羽の平鹿郡、安芸の高屋保などに所領を賜るという記述があります。

この松葉資宗が松葉氏の家祖とされています。

松葉資宗は壇ノ浦の戦いで平家の赤旗を射切り、その功績で文永元年(1185)後鳥羽院より賜りました。

このような松葉氏の家系の記述は家系図に書かれていて、現在は私が保管しています。

お墓を守らないで放置していればやがて無縁墓になり、山野に朽ちてしまします。

祖先のお墓を荒れ地に朽ちてしまうようなことになってはいけません。

そこで、私はたくさんの墓石を守る役目をしています。

広い敷地の墓地なので毎年、工務店にお願いして竹藪と草を刈り、お墓の敷地をきれいにしています。

父母が残した使っていない不動産や、住んでいない家屋敷の整理をするのも私の役目になってしまいました。

私の娘が、私を呼ぶときは当然「お父さん」と呼びます。

姉二人までが娘と一緒になって私の事を「お父さん」と呼び始めたので、

「それはやめてください」と、姉二人に注意しました。

世の中には、旦那さんの事をお父さんと呼んでいる人が沢山います。

パパと呼んでいる人も沢山います。

パパとかお父さんと呼べるのは、子供達だけです。

その子供達の呼び方に、一緒になって、奥さんまでが旦那さんの事をお父さんと呼ぶ人が、身の回りに多い事に驚きます。

私はそのような世代を混同した呼び方は絶対に許しません。

昔、うちの家でも奧さんが私の事をパパと呼ぼうとした事があります。

その時は、私は奧さんに向かって、「私はあなたのパパではありません。

あなたのパパは神戸から遠く離れた岡山市にいます。」

と、注意をして以来、その後は私のことをパパと呼ぶことはありません。

私の友人の中には、奧さんの事をママとか、お母さんと呼んでいる人もいます。

他人の事なので、直接それは違うでしょうと言うことは出来ませんが、何か変です。

二人の姉が神戸に戻ってくることに思いを遣れば、鰻やサケ、マスは遠く

で育っても、生まれた場所に戻ってくると言われています。

人も段々と年を重ねてくると、ふるさとが恋しくなり、里帰りの気持ちが募ってくるそうです。

二人の姉も、これから度々神戸に戻って来るそうです。

そうなると、私は長兄役になり、家長的な役割になり、松葉家を仕切っていく立場になります。

私の友人たちは定年退職の時期を迎え、退職後の自由な生活を楽しんでいます。そしていつしか終活の時期を迎えています。

終活の難しさは人生の終わりがいつなのか、分からないし、予定が立たないことです。

高齢者が増えて、人生100歳と言われるようになると、いつから、何歳から

終活を始めたら良いのか、これまでの常識が通用しない時代になってきます。

平均寿命が80歳を越えたからといって、自分自身がいつ終わるのかは、誰も分かりません。

終わりがいつなのか分かっていれば、計画的な人生を過ごす事が出来ます。

しかし、事故やら自然災害など、いつどこで自分が終わるのかは、当日の朝でも分からない事です。

こんな話が姉・弟の間で進むうちに、ゆっくりと日は沈んで、周りは暗くなり、夕食も終了です。

全ての事は必ず終わりがあるそうです。

しかし、いつ終わるのかは分からないので、3人は、この先どうしようかと、継続的な話をすることになりました。

2018年8月16日