シード コンタクトレンズ 企業文化の変遷 ビックカメラの新井隆二氏が上場企業に育成

シード コンタクトレンズ 企業文化の変遷 ビックカメラの新井隆二氏が上場企業に育成   シード海津雅彦部長に、シードの企業文化の変遷の話をしました。コンタクトレンズのシードは、使い捨てコンタクトレンズを日本で初の国産レンズとして発売しました。

シードの海津雅彦部長が、表敬訪問に来られました。

明日9月16日(土)は、

シードを設立60周年記念パーティーがあります。

その事前挨拶に来られました。

海津雅彦さんと、中野隆一さんを前に、

私が大阪府立大学大学院で企業組織文化の研究をした時の

シードについての調査の話を思い出しながら話しました。

調査のために、

シードの本社を訪ね、当時の井上忠社長にお会いして、

企業文化の変遷についてお話をお聞きし、

まとめたのが以下の記録です。

シードの歴史

シードは旧社名を「東京コンタクトレンズ」と称し、

1951年東京を中心に

ハードコンタクトレンズ製造販売を始めました。

東京コンタクトレンズを発展させたのは、

厚沢弘陳氏でした。

順天堂大学の眼科医局と提携し

メディカルな活動を行っていました。

その後、東京コンタクトレンズは

眼科用の医療器械の販売に注力し、

事業拡大が結果的に会社を倒産させる結果となりました。

 ビックカメラオーナー新井隆二氏登場

1982年から83年の間、

東京コンタクトレンズを再建する

担い手として登場したのが、

ビックカメラを経営する新井隆二氏です。

オーナーとなった新井氏は、

ビックカメラの社員の中から

経理部門の担当者であった

瀬島保二氏を社長として派遣し、

社名も、東京コンタクトレンズから

「シード」へと変え、

会社再建のスタートを始めました。

瀬島社長の時代は、13年ほど続き、

この期間は経営理念とか企業風土に関する

社内の取り組みは成されていませんでした。

経営責任はオーナーの新井隆二氏にあり、

経営方針は販売活動が中心となり、

社長と営業部長を通して

数値目標が示されていました。

この時期に、これまでの社員から

新生シードの社員へと企業組織は変わり、

公開企業を目指して新しい社員に入れ替わりました。

その後、富士銀行から三浦社長が招聘され、

1年半社長職に就いたものの、

2001年にご逝去されました。

次に福田信社長が1年弱社長職にあり、

富士銀行OBの井上忠氏が

副社長として入社しました。

井上忠社長就任

その後、井上社長と社長職を交替しています。

現在のシードの

企業文化・企業風土を形成した社員は、

前述の新生シード以降に

入社した社員が形成したものの、

近年のシード社の経営責任者である社長の

在任期間は比較的短期間で替わり、

明らかな経営理念を

明示することが途絶えていました。

井上忠社長から始まった

シードの企業文化・企業風土づくりの取り組みは、

社長からこれまで発信されていなかった

経営理念のメッセージを

強く発信することから始まって、

企業理念や経営理念に関する話題は、

近年会社内部で語られることがありませんでしたが、

井上社長は社内・社外に対して

シードが目指す方向性なども発信を始めています。

例えば、「社長講話」と称して、

社員に対し直接語りかける機会を作りました。

一回の講話はおよそ1時間から1時間半で、

井上社長が全国の20の営業所を巡回し、

仕事が終わってからの

夕方6時から6時半から始まり、

8時近くまで社長講話を行っています。

社長の話は、経営理念を話し、これからの事業計画、

方向性、将来像に渡る講話を行っています。

社長講話を受講する社員の印象は、これまでに比べ、

社内の風通しが良くなったという印象が強い。

「頑張れ」という発言よりも、

社員が自ら、自発的に頑張るように、

気持ちが変わるような話し方をしています。

社員にとって自分がやらされている

と感じる講話ではないようでした。

シードは国内メーカーとしては初の国産使い捨てレンズの

一貫生産に現在取り組んでいます。

シードの経営政策の中で最も中心的な課題は、

使い捨てレンズ「2 Week Pure」を育て、

現在寡占体制にある外国企業大手三社に迫ることでした。

2006(平成18)年1月12日付

日本経済新聞の報道によれば、

シード社は1日使い捨てタイプの

コンタクトレンズの工場を

埼玉県鴻巣市に建設すると、

同年1月11日に発表しました。

10月に着工し、2008年春から

生産・販売する計画です。

土地と建物などを合わせた総投資額は

約60億円の見通しとなっています。

発売当初の1年間の売上高は

40億円を目指していました[1]

<<参考文献・資料>>

日刊工業新聞2006(平成18)年1月12日付によれば、

シードは10月にも埼玉県鴻巣市に

「1日使い捨てタイプのコンタクトレンズ」の生産をメイ

ンとした新工場を建設すると、11日に発表した。

同社として二つ目の生産拠点となる。

新工場にかかる投資総額は60億円になる見込み。

工場用地23,519平方メートルはすでに取得しており、

2007年9月完成予定。

シードでは2008年春にも1日使い捨てタイプの

コンタクトレンズ市場に参入する予定としている。

2010年に900億円規模にまで成長が見込まれる同市場で

「10%のシェア獲得を目指したい」としている[2]

・株式会社シード 会社案内、平成15年4月

・「シードの大改革」平成15年1月社内資料

・第49期(平成16年4月1日から、平成17年3月31日)

事業報告書

・50回定時株主総会招集ご通知 2006年6月

・日本経済新聞、2006年1月12日

・日刊工業新聞、2006年1月12日

・「リクナビ2007」リクルートHRマーケティング、2005年

・  株式会社シードHP http://www.seed.co.jp/company/profile.html

・松葉博雄 (2007年3月30日発行) 

「コンタクトレンズ業界における良循環経営の調査研究-顧客満足と従業員満足、

そして経営理念の視点から-」  大阪府立大学大学院修士論文


[1] 日本経済新聞、2006年1月12日付

[2] 日刊工業新聞、2006年1月12日付

シード 関連記事 アーカイブ