摩耶山天上寺には、仏陀の生母、摩耶夫人が祀られています。

現代の仏教は仏教の開祖である仏陀を礼拝しなくなっています。これには違和感を感じます。

お盆も近づいて来たので、摩耶山の天上寺にお参りしてきました。

お墓が近いと、度々行けるのですが、松葉家のお墓は東広島市にあるので、遠くてなかなか行けていません。

そこでお詫びに、近場の摩耶山天上寺でご先祖様のお参りをしてきました。

摩耶山天上寺は、下界と比べると、5度以上気温が低く、過ごしやすい気温です。

六甲山をドライブしていると、満開の紫陽花が道路脇に続いています。

紫陽花に気を取られていると、カーブの多い六甲山ドライブコースは、対向車とぶつかって危険です。

母・松葉登美子は80歳になった頃でも、天上寺の石段を手すりにつかまって上っていました。

私は石段を上るのは暑いので、天上寺の近くにある秘密の駐車場に車を回して、石段を上らないで天上寺にお参りできました。

真夏の平日の天上寺は静かです。

聞こえてくるのは、鳥の声と、蝉の声です。

摩耶山の名前の由来は、ブッタの生母であるマーヤ夫人からきています。

日頃から感じるのは、日本の仏教は、仏教といいながら、仏教の開祖である仏陀を礼拝していないことです。

ブッダの教えの本を読んでみると、仏陀自身は仏教を信じれば、良いことがあるとは教えていません。

ブッダの教えは、人間の苦を軽減することを教えています。

参拝者は誰もいません。

セミの鳴き声が聞こえるお堂の前で空を見ると、とても綺麗な青空です。

物に対する執着を捨てて、自分自身を軽くすれば、今日の青空のように、心は晴れ渡るのでしょうか?

物だけではありません。欲に対する執着を捨てなければ、青空のようにはなりません。

お堂の脇では、早くも桔梗の花が咲いていました。

執着を持っているのは、人間だけではありません。

植物でも、自分の子孫が残そうと、花を咲かせたり、鳥に実を食べさせて、種を遠くに運んでもらい、そこで新しい芽を吹かせようと、種の繁栄の執着を持っています。

お堂に上がって、マーヤ夫人と仏陀の前で、家内安全、健康第一の気持ちを、頭の中で考えながら手を合わせています。

しかし、仏陀が望んでいるのは、苦しみの元である執着を捨てて、修業を完成させることです。

仏陀が入滅の時に、最後に弟子達に残した言葉は、

「もろもろの事象は移ろうものである。怠ることなく修業を完成させなさい」だそうです。

仏陀の分かりやすい教えの中に、「身と言葉と行いで悪い事をしなければ世の中の生き物を悩ますことはないだろう。正しく念じて、欲望の対象がむなしい事を知れば、苦しみは遠ざかるに違いない」と、弟子に教えています。

仏陀の像と対峙して、一人考えたことは、今の自分はこのままでいいのかという問いかけです。

仏陀は応えてくれません。今の自分が良いか悪いかは、自分で判断することになります。

お参りを終えて、六甲山の来た道を帰ります。

右と左の両側に、アジサイの花が続いています。

お盆の時には、お墓参りが出来ませんが、お盆が終わった頃には、お墓参りに行くつもりです。

お墓をご先祖様が作ったときには、日当たりの良い山の斜面で、西の方向に向いたお墓は、夕日があたり、極楽浄土を願う気持ちが伝わって来ます。

それが、時代を経ると、仏陀の教えのように事象は移り変わり、屋敷と山を分けるように山陽本線の鉄道が敷かれ、屋敷には住めなくなり、山には竹が茂り、遠くから見ると、竹藪の中に埋もれてしまっています。

竹の伐採を毎年続けるのが私の務めになっています。



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