靖国神社を参拝してきました。【従業員投稿】

靖国神社は桜の名所でもあります。東京の桜は関西よりも早く、満開になっていました。

シードの工場見学の後、東京都千代田区、九段下駅の近くのホテルに宿泊しました。

近くに靖国神社があると聞き、行ってみることにしました。

参拝客は早朝という事もあり、人もほとんどいませんでした。

今年の桜は関西より関東地方の方が早かったようで、満開になっていました。

ここ靖国神社は桜の名所でもあり、東京の桜の開花基準となる標本木があることで知られています。

靖国神社が招魂社として創立された翌年(明治3年)、この地に初めて植えられた桜が始まりです。

日本を象徴する桜は、靖国神社に鎮まる英霊にとって誇りの象徴でもありました。

現在、靖国神社の境内には約500本の桜があります。

毎年、気象庁が靖国神社のソメイヨシノを調べて東京の開花宣言をしています。

靖国神社は、平成31年に御創立150周年を迎えます。公式HPによると、

記念事業の一環として、本殿の冷暖房とバリアフリー化を施したり、

霊璽簿奉安殿の補修工事、拝殿の耐震補強工事、

慰霊の庭の整備、休憩所の設置やトイレ改修など、

高齢のご遺族や、多くの崇敬者が参拝しやすいように環境を整えるそうです。

中に進むと、大村益次郎(おおむら ますじろう)の銅像がありました。

大村益次郎は日本帝国陸軍創設の父として、明治政府樹立に貢献した幕末史上の偉人です。

博覧強記の天才で、独学で兵学を学び、天才的な軍事的才能がありました。

もともと長州藩の村医者の子として生まれた大村益次郎は、

緒方洪庵について蘭学を学び、宇和島藩(現在の愛媛県)に渡り、西洋式軍艦を設計建造するなど非凡な才能を発揮。

その頃江戸で桂小五郎と知り合い、萩で西洋兵学を教えるようになります。

その後高杉晋作の依頼を受けて、奇兵隊の軍事改革や兵の指導をし、奇兵隊を鍛え上げた育ての親となります。

1866年の第二次長州征伐では最前線に立ち、具体的で詳細な作戦指導をして幕府軍を破り、長州を勝利に導いて戦術家として脚光を浴びました。

では、なぜこの像が靖国神社にあるのでしょうか。

靖国神社は、戦前は陸軍省の管轄でした。

大村益次郎は、戊辰戦争で亡くなった人を祀るため、東京招魂社(のちの靖国神社)の創建に奔走していました。

そこで大村の暗殺後、元長州藩士・陸軍のトップである山縣有朋(やまがた ありとも)は、

陸軍の創設者であり、明治維新の功労者である大村益次郎の功績を称え、

日本最初の西洋式銅像として靖国神社に銅像を立てたのです。

靖国神社は、大鳥居が東に向いている数少ない神社のうちのひとつです。

神社はおおよそ南向きのものが多く、理由については諸説あるようです。

現在は首相の参拝問題などで取り上げられる事の多い靖国神社ですが、

その背景には様々な歴史があります。

まだ人も少なかったので、ゆっくり参拝することができました。

数時間後には花見に来られる方が増えることと思います。

見頃を迎えた桜を後にして、

これからジョンソン・エンド・ジョンソンの店舗見学へ向かいます。

2017年4月7日(金)