困った時の、神様、仏様頼み。

古事記は神話と思って受け入れているから、事実論争しなくて良いのです。つまり、日本の文化です。その文化の中に政治問題を持ち込めば、神話が政治に利用されることになります。これは混同してはいけないことです。社長ブログ神戸/社長の生活/淡路島/伊弉諾神宮

定休日の木曜日に、淡路島に来ています。

淡路島のスタートは、フローラルアイランドで地元の食材を探す事から始まります。

8月下旬頃から、淡路島ではいちじくが出回り、値段もだんだんと買いやすい値段に下がってきました。いちじくは不思議なことに、好きな人と、嫌いな人にきっぱり分かれます。

いちじくの嫌いな人の意見は、あのべたべたとした、水分のある柔らかさにあるようです。

これから、秋の味覚が増えて来て、その走りがクリの実です。

栗は丹波産が一番ですが、丹波の栗を買いに行くには、もう少し先の方が丹波の黒豆と一緒に買えるので、もう少し待った方が良いです。

スポーツでも、新人が出てきて力をつけるとこれまでのスターが引退するように、

果物も、夏のスイカはすっかり人気が衰え、秋の果物にスターの座を明け渡そうとしています。

スイカは小さくなり、なんと280円になっています。

フローラルアイランドで買ったいちじくを家で食べるのが待ちきれず、車の中で頂きます。

ザクロのように熟れたいちじくは、その表面がはち割れて、中のいちじくの熟れ具合が食欲をそそります。

これから行くところは伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)です。

四国八十八箇所巡りをするつもりが、雨が強いので延期して、

急遽伊弉諾神宮にお詣りすることにしました。

神様、仏様、神にすがろうか、仏にすがろうか?どちらかに、縋りたくなるときもあります。

そう言う気持ちの時は、神社か、お寺へお詣りして来ました。

雨が降る中、玉砂利を踏みしめて、松葉博雄と奥さんは、二人で本殿に向かいます。

下心があって、神様に何かをお願いする時は、敬虔な信者のような気持ちになっています。

平日の雨の日には、伊弉諾神宮にお詣りする人の人影も少なく、初詣なら本殿に行くまでに何十分も掛かる距離を、ものの数分でまっしぐらに進み、すぐに本殿につきました。

雨のしたたる神社の門を潜り、その先に本殿が見えてきました。

本殿の前には、お神楽を奉納する神殿があります。

国の始まりが、古事記では淡路島で、淡路島の神社の代表は、伊弉諾神宮です。

そう言うことなので、伊弉諾神宮に参拝して、神に縋ってお祈りをしていれば、気持ちも静まってきます。

今、国会では、安倍晋三内閣総理大臣が進める安保法案が審議中です。

この安保法案は、憲法改正に抵触するほどの内容なのに、一内閣の憲法解釈の変更によって、法律を作り、変則的な、憲法改正に代わるような、違憲と言われるような方向に進んでいます。

そのことが今の大きな問題ですが、伊弉諾神宮に来ると、なんと「憲法改正の実現を」と、書かれたのぼりが立っていました。

更に、古事記にその存在の源が記されている伊弉諾神宮の門に、参議院議員 山谷えり子議員の立て看板(家族、教育、国なおし)の看板が設置されているのには驚きました。

古事記に書かれている事が全て事実と信じてる人は少ないと思います。

これは神話と思って受け入れているから、事実論争しなくて良いのです。

つまり、日本の文化です。

その文化の中に政治問題を持ち込めば、神話が政治に利用されることになります。

これは、混同してはいけないことです。

参拝を終わって、伊弉諾神宮の成り立ちを読んでみると、

『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、

最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、当社の起源と記されていました。

人気の少ない、雨がしとしとと降る日は、樹木も雨に濡れて、なんだか一層神話の世界が身にしみてきます。

参拝を終えて帰り道、玉砂利を踏みながら考えたことは、

神も、仏も、それを有り難いと思うには、それなりの大きな装置や自然を利用した敷地が必要だと思います。

お寺も、神社も、その敷地が広く、樹木が多く、世間から隔絶される環境が強いほど、霊験を感じるように思います。

2015年9月3日(水)