北中城の中村家住宅では、薩摩藩の過酷な課税に、農民が悲鳴を上げていた重苦しさが伝わってきました。社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活

沖縄のサトウキビ農家で、サトウキビは栽培され、江戸時代には薩摩藩は砂糖の専売制を敷き、砂糖を舐めると、死罪もあったそうです。ひどい時代があったものです。 第152回沖縄訪問(5)社長ブログ/沖縄ブログ/恩納村ブログ/恩納村リゾート生活

中村家住宅の中を、一部屋ずつ覗いていけば、各部屋には、観光客を意識して、飾り皿や壷が置かれています。このお皿が、中村家で使われていたかどうかは分かりません。

ドラム缶や、タッパーウェアや、鍋などがない時代には、食材を保存するには、土製の壷が活躍しています。

味噌を作る時に、壷で作っていました。壷の中に手を入れて、味噌をかき回そうとしていると、壷の中の味噌の中に、ハブが潜んでいて、噛まれたという実話もあります。

昔使っていたと思われる、どっしりとした家具がありました。松葉博雄の子供の頃に、うちの家にもあったような、食器入れの棚です。

沖縄の台所には、火の神を祀る風習があります。火の神のことをトゥングワといいます。朔日(ついたち)と十五日に拝むようになっています。

沖縄に、霊感師の祝女(ノロ)、ユタ(巫女)がいます。ノロさん・ユタさんは、家に来て、拝む場所は、トゥングワ(台所)です。

部屋の場所によっては、なんとなく空気に違いを感じる場所があります。なぜ、空気の違いを感じるのかは、分かりませんが、気圧の違いのように、耳がつまるような変化を感じます。

建て替えたとはいえ、ここ中村家では、500年の歴史の中で、辛い事、悲しい事、耐えられないこと、理不尽なこと、我慢の成らないこと、一層死んでしまいたいと思う事などが、あったのではないかと思います。

部屋の隅に置かれた壷を、じっと見つめながら、壷に向かって、ここで何が起きたのか、教えて下さいと、壷に向かって語ってみても、壷は何も、メッセージを送ってくれません。

台所の気配は、いっそう重苦しい気配が伝わってきます。台所からみると、座敷は一段高い目線に見えます。台所で働いていた、下女、下男達は、滅多にお座敷に上がることは許されません。

下女や、下男の人達は、この台所の隅の方で、暗い中で、朝から晩まで、夏から冬まで、お腹を空かせて働いていたのではないかと思います。

外に出ると、台所で感じた気圧の変化や、空気の重苦しさは、すーっと消えていきました。頭上を眺めてみると、屋根の上には、シーサー(獅子)が悪魔を、悪者を、寄せ付けないかのように、この家を守っています。

中村家を見学した後、入るときに考えていた、どうして財をなしたのか?、それは、庶民には、一般農民にも、許されていなかった砂糖の生産に関わっていたからだと思いました。

薩摩藩が琉球と奄美を支配していたとき、その課税は過酷で、中でも砂糖は専売制にして、サトウキビを作っている農民すら、一生に一度も砂糖をなめることを許されていなかったそうです。

砂糖をなめたり、サトウキビを傷つけたりすると、死罪や罰が課せられたそうです。

砂糖は、内地に送り、大阪、江戸では、貨幣にかえて、薩摩藩の財政を助けていました。

例えば違うかもしれませんが、タバコや酒が一部の人の独占状態にあれば、専売制を引いている人達に大きな利益を与えたように、砂糖も、特別な商品だったのです。

支配階級の人達と、作っても舐めることも許されていなかった、サトウキビ作りの農民達の狭間にあって、豪農の中村家の人達も、きっと多くの葛藤を抱いて、このお屋敷で過ごしたのだと思いました。

2015年4月11日(土)



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