淡路島は、北が開発され、南は自然が残っています。

淡路島の北と南の、開発の落差は、沖縄本島に似ています。沖縄は、南が開発され、北には、ヤンバルの自然が残っています。 淡路 (2)

 うずのゆの後は、お決まりの、「万代」です。万代で、昼食です。

今日は、朝のスタートが早い時間だったので、席は、調理場の前のカウンター席です。

ここからは、目の前に、寿司ネタに使う魚が、よく見えます。

お昼の注文は、奥さんは、板前まかない 1080円、松葉博雄は、造り定食 2200円です。

もう一つのカウンターには、ここの賑やかな、大女将と、若女将が、何やら相談中です。

目の前の調理場では、ここの若主人が、てんてこ舞いで、料理を作っている様子が、よく見えました。

お造り定食には、シマダイのお刺身と、蛸、サザエと、もう一つ、何か忘れましたが、お刺身の盛り合わせです。

なかなか美味しいお刺身で、夜だと、三宮だと、宴席だと、1万円くらいしそうです。

これに対して、奥さんのまかないは、見た目には豪華でしたが、やはり素材が違っています。

万代の食事の後は、ホテルニュー淡路に向かいます。最初は、ここで露天風呂に入るつもりでしたが、今日の風は、吹き飛ばされそうなほど強く、寒いので、露天風呂に入るのは止めました。

前に、ここの露天風呂に入った時、背中に立派な絵が入っているお客さんがいて、声を出すのも憚られました。

露天風呂から見える位置と、同じくらいの位置で、向こうに見える鳴門海峡大橋を見てみました。

前回の写真と比べて、ほぼ同じです。

この下の写真は、露天風呂から見た、鳴門海峡大橋です。

>>2012年11月

海岸に近い所へ移動して、もっと鳴門海峡大橋が、身近に見える場所に、移動です。

芝生の広場があり、そこから見ると、一層良く見えました。

永田青嵐句碑

岩布刈 いづれが近き 撫養 福良

永田青嵐は、淡路倭文に生まれ、二十七歳にして旧制県立洲本中学校校長となり、後 関東大震災当時の東京市長を二期務め、その復興と今日の東京都の基盤を作りました。六十七歳で亡くなっています。俳人としても、俳誌 ホトトギスで、その名を知られています。

明石海峡大橋は、通行料が900円に値下げされていますが、鳴門海峡大橋は、値下げがありません。

次は、吹き上げの浜です。風が砂を吹き上げて、海岸が広がったようです。とても美しい、浜辺です。

これだけの浜辺なら、きっと、ウミガメが産卵に来ると思います。

南あわじ市が警戒しているのは、ウミガメではなくて、自然破壊に繋がる、砂利取りです。

手で摘んでみても、とても綺麗な砂地で、これなら、こっそり大量に、持ち帰ろうとする輩が出ても、不思議ではありません。

浜辺におりてみました。冬の海は、寂しくて、波がただ寄せているだけです。

海岸の堤防には、吹上浜の貴重な海浜植物について、説明がありました。

ビロードテンツキ、アゼトウナ、コウボウムギ、ネコノシタ、ハマニガナ、ハマボウフウ、などの植物が生息しているようです。

淡路島は、明石側の淡路市は、神戸に近いためか、土地開発が活発ですが、四国側の南あわじ市の、四国に近い地帯は、自然が残り、風光明媚な景色が多く、素晴らしい景観が魅力です。

2014年12月18日(木)



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