吉野川とともに、吉野川の氾濫に苦しんだ田中家は、石垣を組んで防水に取り組みました。

四国三郎の異名をもつ吉野川は、度々決壊し、周囲の畑を流し、家に浸水し、猛威を振るっていたようです。 四国八十八ヶ所巡り(11)

それでは、田中家の屋敷の外に出て、吉野川の氾濫に対して、豪商田中家がどのような石垣を組んで、吉野川の氾濫に対抗したのか、見せて頂きます。

北藍寝床

北藍寝床の石垣

吉野川が氾濫すると、水は家の北西からやってくるので、石垣も北西の角が一番高くなって船の舳先(へさき)と同じ役目をしています。

その角は反りながら、約三分の一が埋まっているので、先端が歩道の端まできています。「八間」の名前はこの建物の長さに由来し、全長は8間だそうです。(パンフレットより)

なるほど、実際に石垣を見ると、隙間がないほど、吉野川の氾濫に耐えられるように、緻密な石組みをしていることがわかりました。

周りの田畑は、吉野川の氾濫が繰り返されるので、米作りは諦めていたそうです。その為、米の代わりに藍を生産したそうです。

確かに周りを見ても、今でも水田が見当たりません。代わりに、住宅開発が吉野川から、田中家に出て、だんだん近づいてきています。

吉野川は別名、四国太郎と言われています。四国三郎とは暴れん坊のことです。日本にはいくつかの暴れん坊の川が、太郎、次郎、三郎とつけられています。それは、関東の坂東太郎(利根川)、九州の筑紫次郎(筑後川)、四国の四国三郎(吉野川)、新潟の越乃四郎(信濃川)、東北の陸奧五郎(最上川)です。

井戸は、青石で重要文化財の指定を受けております。井戸の周辺の敷石は、人がそこに立って水汲み上げるので厚くしてあります。

また、井戸の中に汚水が入らないように、敷石に傾斜を付けてあります。排水路もすべてノミで仕上げられています。レンガはイギリス製で、冬至はレンガ1個に米二升と言われていたそうです。

井戸の水を汲み上げるために工夫されたのは、撥ね釣瓶です。

一般に、米が入手困難な時代でしたので、これは大変高価な物だったようです。

南藍寝床

ここには、藍玉作りに使った古農具がたくさん展示されています。

①虫取りのたま
藍の葉につく害虫を手箒でたまにつけた布袋に掃きこみます。

②杵と臼
藍玉を作るとき使います。男の人は力仕事で一日七回も食事します。

③大釜
作業者が大勢ですので一度に多量の食べ物を煮たり、湯を沸かしたりするとき使い、大変重宝なものです。

④駕籠
およそ百四十年程前に、第十一代当主の田中茂三郎に美馬郡口山村より嫁いできた時使われていた駕籠です。

と記載されていました。

駆け足で、田中家の主婦の方に、公開日でもないのに案内して頂きました。ありがとうございました。

是非、お写真を写させて下さいとお願いしたのですが、今日は、普段着のままなので、写真は勘弁してくださいと断られました。

(付録:田中家住宅パンフレット、しおり)

2014年11月27日(木)