四国霊場第十四番 常楽寺のお詣りです。

四国霊場第十四番 常楽寺の本尊は弥勒菩薩です。  徳島 (3)

徳島市国府町延命に来ました。ここは、四国八十八ヶ所霊場 第十四番札所 常楽寺です。

盛寿山、延命院と号し、本尊は弥勒菩薩です。四国八十八ヶ所で本尊を弥勒菩薩とするのは常楽寺だけだそうです。

弥勒菩薩は、遠い未来、慈しみにより生あるもの全てを救うという菩薩だそうです。インドで、仏教が誕生した後、原始仏教から、大乗仏教が生まれて、仏教の教義も、受け入れられた国で、色々発展しています。

仏教の創始者である、ゴータマブッダよりも、想像上の仏をお祀りする考えも、育ってきました。弥勒菩薩も、その一つです。

常楽寺公式ホームページには、常楽寺の歴史と由来が記載されていました。

四国霊場のなかで唯一、弥勒菩薩を本尊としています。弥勒菩薩は56億7千万年の後まで、衆生の救済を考え続けて出現するといわれる未来仏だそうです。

ブッダの誕生は、仏教を興しました。しかし、それよりも遙かに永い時間軸を設けて、弥勒菩薩を創造しています。

縁起では、弘法大師が42歳の厄年のころ、この地で真言の秘法を修行していたときに、多くの菩薩を従えて化身した弥勒さまが来迎されたそうです。

大師はすぐに感得し、そばの霊木にその尊像を彫造し、堂宇を建立して本尊にしたそうです。

常楽寺には、バスで来たたくさんの参拝客が、一斉に般若心経を唱えています。

巡礼をしていると、行く先々のお寺で、出くわす巡礼者もいます。同じコースで回っているようです。

常楽寺では、特に念入りな般若心経の合唱があり、その統率ぶりに驚きました。

常楽寺は古いお寺のようで、室町時代には阿波守護大名の祈願所にもなっているましたが、「天正の兵火」により焼失し灰燼に帰したそうです。

だが、江戸時代初期には復興、後期の文化15年(1818)に低地の谷地から石段を約50段のぼった現在地の「流水岩の庭」近くに移ったそうです。

奇形な岩盤の断層が重なる「流水岩の庭」。自然の美しさにとけ込む魅力を醸しています。

(以上常楽寺公式ホームページより)

本尊の弥勒菩薩にお詣りしました。遠くの方に、お姿があるので、はっきりとは見えませんでした。

松葉博雄は、四国八十八ヶ所巡礼をしていて、少し違和感を感じます。本来、仏教を興した、ブッダをもっと大切にしてほしいを思います。

あちらこちらのお寺をお詣りしても、ストレートに、ブッダがご本尊になっているお寺はありません。

何しろ、ブッダが亡くなっておよそ2500年も経過しているのですから、その後に、次々とブッダの考えを自分流に咀嚼して、新しい宗派を興しています。

常楽寺は、境内の広いお寺です。平坦な境内ではない、起伏のある境内です。

松葉博雄の奧さんは、先に車に戻ります。松葉博雄は、常楽寺の裏手の方に回ってみます。

常楽寺の裏手の方には、沢山のお墓がありました。お墓があれば、お詣りする信者もいて、お寺は賑やかになります。

これが檀家です。檀家がたくさん多いお寺は、顧客を沢山持つお店と同じように、賑やかになります。

境内には大きな銀杏の木がありました。

常楽寺の参拝が終わって、お寺を降りていくと、小さな池がありました。

こんな小さな澤に、鴫が遊び、そこから人の足音に驚いて、飛び立つ様を詠めば、「心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ 」の和歌になるのでしょうか。

駐車場に戻る道すがら、無縁仏があり、その脇には、大きな木が日陰を作っていました。夏の日の日照りの暑い日には、お遍路さんにはこのような日陰が、一休みする場所として、格好の場所に見えました。
徳島県の霊場

1.竺和山 一乗院 霊山寺【1】 【2】
2.日照山 無量寿院 極楽寺
3. 亀光山 釈迦院 金泉寺
4. 黒厳山 遍照院 大日寺
5. 無尽山 荘厳院 地蔵寺
6. 温泉山 瑠璃光院 安楽寺
7. 光明山 蓮華院 十楽寺
8. 普明山 真光院 熊谷寺
9. 正覚山 菩提院 法輪寺
10. 得度山 灌頂院 切幡寺
11. 金剛山 一乗院 藤井寺
12. 摩廬山 正寿院 焼山寺
13. 大栗山 花蔵院 大日寺
14. 盛寿山 延命院 常楽寺
15. 薬王山 金色院 国分寺
16. 光耀山 千手院 観音寺
17. 瑠璃山 真福院 井戸寺
18. 母養山 宝樹院 恩山寺
19. 橋池山 摩尼院 立江寺
20. 霊鷲山 宝珠院 鶴林寺
21. 舎心山 常住院 太龍寺
22. 白水山 医王院 平等寺
23. 医王山 無量寿院 薬王寺

2014年9月18日(木)