四国八十八ヶ所霊場 第四番 大日寺にお詣りしています。

四国八十八ヶ所霊場 第四番 大日寺の本尊は大日如来です。  徳島 (19)

第五番目札所の地蔵寺を出て、途中で昼食になります。探してついたところは、 手打ちうどん「こんせん」です。

お店の前には、手水鉢があり、鉢の中には、メダカが泳いでいました。メダカを飼っているので、よその家のメダカも気になります。

四国霊場八十八カ所、第三番札所「金泉寺」南の、県道鳴門池田線沿線にあるお店です。

片山正喜さんも、奧さんも、松葉博雄も、おなかが空いているので、サンプルを見ながら、何を頂こうか考えます。

うどんを頂く前に、出来合いのおでんの中から、こんにゃくとすじ肉を頂きます。

松葉博雄は、ここでも肉うどんです。奧さんは、鍋焼きうどんです。

お腹が空いたと思ってみても、そんなに食べられるものではありませんでした。うどんを一杯いただくと、もうお腹は満腹になりました。

うどん屋さんがあって、よかったです。四国のうどん屋さんは、香川と徳島では昼休みがあり、中には午前中だけで終わりのお店もあります。売り切り御免です。

そんな店にあたれば、2時を過ぎると、うどんは頂けません。

四国八十八ヶ所霊場 第四番 大日寺です。

黒巌山(こくがんざん)遍照院(へんじょういん)と号し、本尊は大日如来、別名は黒谷寺です。

大日寺公式ホームページによると、弘法大師が42歳にあたる弘仁6年、この地に長く留まり修行していたとき、大日如来を感得された。大師は、一刀三礼をして55センチほどの大日如来像を彫造され、これを本尊として創建し、寺号を本尊に因んで「大日寺」と命名したと伝えられる。

また「黒厳山」の山号は、境内が三方を山に隔てられており、人里はなれたこの地は「黒谷」と称されたのが由来といわれ、地元では「黒谷寺」とも呼ばれていたという。

ここでも、水鉢に水草が植えられ、メダカが泳いでいます。

寂本(1631〜1701)の『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)によると、かつては立派な堂塔が並び、美しく荘厳な小門から入った境内は広々としていた。

しかし、歳月が経ち、伽藍の軒は風化していたが、応永年間(1394〜1428)に松法師という人に夢の託言があって修復されたという旨が記されている。

伽藍は再び荒廃し、天和、貞享年間(1681〜88)に再興されている。

また、阿波藩主・蜂須賀家は代々大日如来を守り本尊としており、とくに5代藩主・綱矩公の帰依があつく、元禄から宝暦年間(1751〜64)には手厚い保護をうけ寺塔の大修理がほどこされている。

本堂と大師堂を結ぶ回廊には、西国三十三観音霊場の木造観世音像三十三を安置している。江戸時代の中頃、大阪の信者により奉納されたという。

また、先々代の住職は不治の病とされたハンセン病の遍路さんを、手厚く接待していたことで知られる。境内は、板野町史蹟に指定された防災区域で、霊地にふさわしい幽玄な雰囲気を漂わす。

(以上大日寺公式ホームページより)

大日寺は、東寺真言宗準別格本山です。仏の悟りにも位がありましたが、お寺にも位が授けられていました。

真言宗のお寺には、似たようなお祀り方があります。

弘法大師堂は工事中でした。

大日寺は、周囲は山に囲まれ、静かな環境のお寺でした。ここで、松葉博雄の奧さんは、お寺に朱印をお願いしたところ、一定のルールに沿っていなかったので、朱印を頂けませんでした。

大日寺でも、多くの巡礼の方が、次々にお詣りに来られています。この辺りは、札所が一つの地区に集まっているので、人気スポットのようです。

おへんろ道しるべを読めば、第七番の十楽寺、第六番の安楽寺、第五番の地蔵寺、第四番の大日寺、第三番の金泉寺と、お寺参りの数を稼ぐには、恵まれた地域です。

大日寺では、9月28日に法話があります。入場は無料です。「弘法大師の教えと人生」のテーマで、住職の眞鍋俊照さんの、法話があります。

お寺は何処も石段があります。年を取ってくると、石段で躓けば、せっかくの御大師様への巡礼が、意味が無くなります。そこで、石段には手すりがつけられています。

池があって、蓮が植えられ、蓮の花が咲けば、極楽浄土のイメージが参拝者に提供出来ます。

大日寺の参拝は、境内がこじんまりとしていることもあって、すぐに終わりました。

片山正喜さんも、いくつか巡礼をしていくうちに、かなり興味が湧いてきたようです。このあと、片山正喜さんは、四国巡礼に対して、びっくりするような行動にでます。

2014年8月28日(木)