日本航空御巣鷹山墜落事件の飛行機に乗り遅れて一命をとりとめた徳永弘美さんの体験談を聞きました。

日本航空御巣鷹山墜落事件の飛行機に乗り遅れて難を逃れた徳永弘美さんの話は、鳥肌が立つような話でした。

モザイクのニューミュンヘン大使館で、これから、徳永弘美さん、宮崎さんと暑気払いのビールを頂きます。先日、三宮のニューミュンヘン大使館で、コンタクトレンズメーカーの担当者の皆さんと、親睦会をした、ニューミュンヘン大使館です。

ニューミュンヘン大使館は、大変な賑わいで、まだ明るい夕方から満席状態です。

今夜は、とても運が良い人と一緒にビールを頂きます。

それは29年前の1985年(昭和60年)8月12日(月)に、JALの羽田発大阪伊丹行きの大型機が、群馬県多野郡上野村御巣鷹山に墜落した、その日本航空123便に予約していて、急用が出来て、123便に乗れなくなり、難を逃れた、実際にあった話です。

ミュンヘン大使館では、最初に黒ビールを大ジョッキで乾杯です。かなり沢山ビールが入っています。

でも、よく見ると泡も沢山入っています。しばらく時間をおけば、泡ははじけて、上の部分は空になってきます。

サービス係の男性が、注文を間違えて、生ビールの大ジョッキのところを、中ジョッキを持って来ました。取り替えて貰うまで、しばらく乾杯はお預けです。

料理は、一品ずつ注文するのではなくて、予めコースで予約をしているので、次は何を注文しようかと、考える必要はありません。

日本航空123便墜落事件について、難を逃れたお話を、明日は8月12日なので、聞かせてもらいました。

その日、1985年(昭和60年)8月12日、徳永弘美さんは東京から大阪へ飛ぶJAL123便の出発に合わせて、空港に向かおうとした時に、ばったり取引先の方が訪ねてきたので、その方と一緒に部屋に戻ったそうです。

部屋に戻って商談を済ませると、もう日本航空123便には、間に合いませんでした。

そこで123便の次の便に予約を変えたそうです。

123便の後の便で、羽田空港から伊丹空港に戻ってみると、空港は騒然とした状態だったそうです。

それでも、その時は、何が起きたのかは分からなくて、そのままタクシーに乗り、自宅に向かいました。

タクシーのラジオニュースでは、日本航空123便墜落事件が報道されていましたが、その時間には、墜落したとは分かっていなくて、123便が行方不明と報道されていたそうです。

タクシーの運転手さんに、123便が行方不明ですと知らされ、徳永弘美さんは、それは僕が乗る予定の飛行機だったと言った途端、自分自身の全身に鳥肌が立ったそうです。

家に戻って家族と会ったときには、家族みなさんは行方不明のJAL123便に乗っていると信じていた徳永弘美さんが、突然、何事もなかったかのように帰宅したことで、ビックリしたそうです。

この話を聞くと、徳永弘美さんはとても運が強い人だと思います。

もし取引先の方が、わざわざ夕方会社に訪ねて来ていなければ、徳永弘美さんは予定通り日本航空123便に乗っていたことでしょう。

暗い話になりますが、徳永弘美さんがJAL123便をキャンセルしたことで、キャンセル待ちをしていた人が123便に乗っています。それが誰かは分かりませんが、胸の痛む話です。

宮崎くんと一緒にこの話を聞いて、人の運のあり方について考えさせられました。

徳永弘美さんは、松葉博雄に対して、もし、もう一度人生をやり直すことが出来るとすれば、今の人生と同じ事を望みますか?それとも、別の人生を望みますか?という、設問をされました。

松葉博雄は、与えられた人生を、長期的に、どのように送るか考えて進んできたので、人生をもしやり直すとしても、たぶん大きな変更はないのではないかと考えました。

帰り道に、モザイクのお店で見たのは、トルコアイスです。

これは、売る人のパフォーマンスにお客さんが引きつけられ集まっています。

アイスクリームをすくう長いスティックで、お客さんのコーンに、アイスクリームを乗せてあげるまで、出したり引っ込めたり、お客さんを驚かすようなパフォーマンスが受けています。

今夜は、人の運命について、考えさせられました。予期せぬ事があったのは、阪神淡路大震災の時です。あの阪神淡路大震災にも、ちょっとした選択で、生と死に分かれています。やはり、生きている人は、何かによって生かされているのではないかと思います。

2014年8月11日(月)