盛岡から平泉に行く予定がしんどくなり、早めに切り上げて、いわて花巻空港から帰ります。社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/メニコン

いわて花巻空港では、南部鉄器の風鈴を、お土産に買いました。  青森・盛岡 (11)社長ブログ/神戸の社長/コンタクトレンズメーカーブログ/メニコン

盛岡の人口は、2014年7月1日付で300,034人です。市としての人口は減少傾向にあり、2011年3月11日の東日本大震災により、被災地からの避難などが相次いだことから横ばいしたそうですが、一時的な現象であったので、依然として人口は減少傾向にあるそうです。

伝統産業といえば、南部鉄器でしょうか。市内を北上川、雫石川、中津川などが流れており、町の規模は小さく、高いビルがなく低層ビルなので、所在する美しい山々をどこからも見ることができる、素晴らしい街です。

駅前には、広いロータリーがありました。たくさんのバスが停まっています。盛岡駅東口、盛岡駅西口、盛岡バスセンター乗り場など、たくさんの乗り口案内があります。循環バスも多く、観光時にも便利なバスが沢山ありそうです。

盛岡の古名は、「不来方(こずかた)」と呼ばれていた他、「森ヶ岡」と呼ばれていたそうで、のちに「森岡」と呼ばれるようになり、藩主・南部氏が「盛り上がり、栄える岡」という意味を込めて「盛岡」と命名したそうです。

盛岡から、いわて花巻空港まではタクシーで移動です。所要時間はだいたい40分ぐらいでした。盛岡から、いわて花巻空港までは、専用バスも出ているそうで、これに乗ると1400円で行けるそうです。

花巻と言う名前の由来は、いくつか説があります。『「花の牧」という名馬を産する牧場があったことから』、『北上川が水深く渦を成し、春には花びらが水上に浮かんで美しい風景を見せたことから』など、他にもあるそうです。

空港までの途中、花巻市豊沢町に宮沢賢治生家跡地があるので寄ってみます。宮沢賢治といえば、「注文の多い料理店」、「雨ニモマケズ」、「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」など、たくさんの名作があります。

宮沢賢治は、生前は無名に近い状態でしたが、没後に草野心平らの尽力により作品群が広く知られ、世評が急速に高まり国民的作家となりました。

ヒノヤタクシーのタクシーの運転手さんは、大泉久男さんです。大泉久男さんから、自分で写したという綺麗な蓮の花の写真を、頂きました。

花巻空港に 「希望の一本松(“The Last Pine Tree , a Symbol of Hope”)」があります。これは、2014年3月28日から約1年間、いわて花巻空港1階チェックインロビー内に展示しています。

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震で、陸前高田にたった1本だけ残った、「奇跡の一本松」の鋼板製レプリカ、「希望の一本松」です。日本自動車工業会加盟の自動車メーカー14社の技術者が、被災地への思いを込め、製作したものだそうです。

20個ある「松かさ」のうち7個には、津波で流された自動車の一部(鋼板)を材料に使用しているそうです。

卓鈴が売っていました。南部鉄器は、岩手県南部鉄器協同組合連合会の加盟業者によって作られている鉄器で、74の事業所に約730名の従事者がいて、年間生産額は約92億円にもなるそうです。

特徴は、鋳物の素材は、砂鉄又は鋳物用銑鉄とすること、それから、着色剤に用いる漆は、天然漆とすることだそうです。南部鉄器の主な製品は、茶の湯釜、鉄びん、その他鉄器製品全般があります。

「銀河高源ビール」です。これは、株式会社 銀河高原ビールから販売されているもので、銀河とは「夢とロマン」を、高原とは「天然の名水」を表して、名付けられたそうです。

盛岡は、わんこそばで有名です。わんこそば、盛岡じゃじゃ麺、盛岡冷麺と合わせて「盛岡三大麺」と称するそうです。ここでは、わんこそばではなく、普通のざるそばを頂きます。

メニコンの菊川紀幸さんは、カレーです。

いわて花巻空港は、最近綺麗に改装されたようです。これから、大阪伊丹空港に向けて、あの飛行機に乗って帰ります。

花巻空港は、あまり発着便が多くないようで、ロビーにはあまり人影がありません。

ブラジル製の飛行機、EMBRAER170に乗って、伊丹に帰ります。

途中眠たくなって眠ってしまい、お茶のサービスで目が覚めて、窓の外を見ると、夏のかき氷を思わせるような入道雲が、窓から見えました。

名古屋を通過して、生駒山を越えると、もう向こうは大阪平野です。

2泊3日の弘前・青森、盛岡への視察旅行は、あっという間に終わりです。東北地方の夏祭りは、こんなに元気があるとは知りませんでした。

できるものなら、次は、来年の春の弘前城の桜の花見に行ってみたいものです。

2014年8月5日(火)