箱根ガラスの森美術館では、お庭で仮装のお客様が写真を撮り合っています。

箱根ガラスの森美術館は、お天気に恵まれると、大変な人手です。 U君と静岡県熱海市(14)

箱根ガラスの森美術館は、フェイスブックもやっています。これから、ミュージアム・ショップに行きます。

ヴェネチアン・グラスの歴史は、古代ローマ帝国時代に遡り、古代ローマ帝国(前1~5世紀)のローマン・グラスから始まるといわれます。(以下、箱根ガラスの森美術館ホームページより、参照抜粋)

革命的発明の「吹きガラス技法」により、当時すでにイタリア半島全域には多くのガラス工房が作られ、その技術や製品は全世界に広まりますが、やがて西ローマ帝国の崩壊(476年)とともに、急速に衰えます。

8世紀に入ると、当時のヴェネチア共和国の中心はリアルト島へ移動し、島内各地での教会や聖堂の建設ラッシュに伴い、ガラス工房も多くこの島へ移ったとされています。

1078年にはサン・マルコ大聖堂の再建が始まり、全壁面にガラス・モザイクが施されたりと、隆盛期が訪れます。

13世紀に入ると、1268年にヴェネチア・ガラス同業組合が結成されたり、シリアのガラス最大の産地アンティオキアとのガラス素材原料の輸入契約、燃料の管理合理化のための薪の政府直轄統制、夏期操業の禁止など、政府の積極的介入が強化されます。

13~14世紀には、特にエナメル彩色の技法とデザインなどに、ビザンチンやイスラムなどの影響を強く受けながら発展し、15世紀に入ると、イタリア・ルネサンスを背景にさらに円熟します。

16世紀後半には、ダイヤモンドポイント彫り、レース・グラス、クリスタル・グラス、アイス・クラック・グラス、マーブル・グラスなどの、繊細で華麗な新しい技法が続々と生み出され、いろいろな形態や機能のガラス作品が造り出され、ヴェネチアン・グラスは最盛期を迎えます。

17世紀に入ると、イギリスの鉛クリスタル・グラスの発明、神聖ローマ帝国のボヘミアン・グラスの育成、水晶彫りバロック・グラスの流行などで、危機に直面します。

18世紀に入るとヨーロッパでは新しい産業主義が興り、各国は自国産業保護のために輸入品の高率関税化を始めました。この苦境を乗り越えるために、より細密なモザイク製品、教会の内装や装身具の製作、アフリカや東南アジアへの輸出など、あらゆる努力がなされます。

しかし、1797年にはヴェネチア共和国解体により、政府のガラス産業庇護の時代が終焉、10年後の1806年にはムラノ島で500年続いた由緒あるガラス職人組合が解散を余儀なくされます。

途方に暮れるガラス産業でしたが、新しい時代が動き始めます。19世紀を迎え近代化の道を踏み出していた時代は、新しい産業や教育の舞台として、美術館・博物館・資料館作りのブームを生み出します。

名工たちは、古代作品の復刻作りに活路を見い出します。その後、他国のガラス産業には真似のできない色ガラスを基本としたガラス・モザイク技術による古い教会壁画の修復、インテリア部門などの新しいジャンルの開拓など、苦難の時代からの新たな出発が始まりました。ヴェネチアン・グラスは窮地を脱出し、近代化の道を踏み出し始めました。(ここまで、ガラスの森美術館ホームページより抜粋)

職人の熟練の技と、輸入時の空輸代などもあり、ショップで見たガラス細工のオブジェは、一つ一つが、なかなか高額で、小さな子供を連れて見に入るには、なかなか勇気が要ります。

誓いの鐘に通じる小径です。こちらの誓いの鐘は、山や海や観光地によくある、恋愛関係で愛を誓う、誓いの鐘のようです。

園内で、仮装している人たちを見かけます。

2013年12月27日から2014年4月13日まで、ヴェネチア仮面祭というのをやっているようで、仮装しているのは、レンタル無料のマントと仮面を被った、観光客の人たちです。

ガラスの森美術館を十分に堪能しました。

2014年3月21日(金)