栗林公園といえば、南湖周遊和船の舟遊びです。

栗林公園といえば、砂埃です。帰りには、ハタキで靴に付いた砂埃をはたいて、靴を磨いて帰ります。 高松ツアー(6)

花より団子の諺通り、美しい庭園よりも、美味しい団子を売店で売っていました。

いよいよ栗林公園のクライマックスの場所です。

和船に乗ったお客さんは、船頭さんに案内されて、栗林公園の池を、池の方から庭園を見るために、船頭さんがゆっくりと棹を差しています。

今、松葉博雄はどこを歩いているのか、確かめるために、栗林公園の中の案内図を見てみます。

先ほど見た舟が、江戸時代の歴代藩主が舟遊びに使っていた様子を、再現しています。もちろん、お殿様が乗る舟は、もっと素晴らしい舟だったようです。

またまた売店です。この売店は、向かいにある茶席を貸してくれる、窓口となる茶屋です。

栗林公園の中には、予約をして、予約が取れれば、部屋の中で飲食をしながら、栗林公園を鑑賞できる、部屋があるようです。

芙蓉峰に登ってみます。梅林橋あたりから見ると、富士山の形をしているので、富士の別名である、“芙蓉”の名がついたとされています。

芙蓉峰から望む北湖は、紫雲山を背景として、右に前嶼、左に後嶼、その救心点には、紅の橋である梅林橋という美しさ、また右には箱松屏風松が重なるように見え、景観をさらに厚く演出しています。

先ほど、松葉博雄がお花見をさせてもらった辺りが、正面に見える、横一列に広がる桜の広場です。

自然の山を借景にして、栗林公園が作られたことが、ここから見て分かりました。

いくら殿様でも、山までは自前で作れません。自然にある山を利用して、山裾に広がる、原野を使って、池を掘り、庭園にしたようです。

現代の私達でも、定年退職になり、暇が出来ると、たとえ僅かな庭でも、土いじりや、植木いじりをしたがっています。

これだけ広い栗林公園なら、何百人でも、千人を超えてでも、庭いじりがしたい人が、集まりそうです。しかし、千人の人が思い思いの庭いじりをすれば、栗林公園はわやくちゃになります。

それが集団と組織の違いです。組織であれば、組織全体で目標をもって、一定の目的をもって、栗林公園の全体像を作ることができます。集団であれば、そうはいきません。

売店の脇では、盆栽を売っていました。隠居さんが鋏を持って、毎日盆栽の松を、一つずつ自分の思うような形に整えていく、そんな趣味を楽しませてくれそうな盆栽です。

まだまだ、栗林公園の散策コースが続きます。

手前の看板には、「昭和天皇 お手植え松跡」と記載されています。

こんなに伸び伸びと、桜を見ながら、栗林公園を回れるとは、つい2~3ヶ月前には、思ってもみませんでした。

高松にご縁が出来て、ご縁が出来ると行ってみたくなり、行ってみると、高松なら栗林公園からと思い立ち、今日の栗林公園訪問になりました。

栗林公園の石碑です。書いてあることは、「本園は、明治8年に公園となり、一般に公開されたが、この石碑は公園の趣旨と本園の沿革、景観などを書き表したものである。」と、案内板には書かれています。

出口の近くに来ました。園内花情報では、桜は満開です。椿は見頃です。

桜や椿だけではありません。あの花も、この花も、見頃です。

出口に近付いた頃には、革靴は埃まみれです。砂埃が靴について、このまま帰ると、家に埃を持ち帰ってしまいます。その防止のために、出口付近には、靴の埃を払う、ハタキがありました。

2014年4月3日(木)